2012年11月12日

☆ブログ移転のお知らせ☆

ご無沙汰しております。
創作舞踊集団 寶船です。

この度、ブログを移転することになりました。
今後は、独自ドメインで広告のないブログになります。

新しいブログURLは
http://takarabune.org/blog/
です。

お気に入りやブックマークの変更、よろしくお願いします。
これからも、読み応えのある面白い記事を書いて行こうと思いますので、ご愛読よろしくお願いします!!

創作舞踊集団 寶船
posted by 創作舞踊集団 寶船 at 22:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 活動報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月18日

自分の問題意識を大切に

としひで です。

先日、社会問題を学び主体的に考えるためのスタディツアーを作っている面白い団体(>リディラバ)の説明会で面白い話を聞きました。

いろいろな社会問題がマスコミに取り上げられたりしているのになぜ解決しないか。
それは、人々がそれらの問題を話題として消費するにとどまり、主体的な関心を持っていないから。

この「問題の消費」という見方が、まさに!でした。ということで、今日は「問題意識」について考えたことを。

問題意識は自分の生きる方向性、意識の仕方、価値の置き方や選び方を決めるもの。
ある意味、自分の生き方すべてを方向付けている。しかし、そこを以外と考えていない。

社会問題にしても、学問的問題にしても、多くの人は、マスメディアにしても論集などにしても、周りの権威が選び作ったものを拾い上げ、それに反応し、声を上げる。

確かに、今社会で起こっていることを敏感に感じ取るセンスは大事。でも、それは、誰かが形作った「問題意識」の流行りに乗ることとは違う。流行りに乗って盛り上がるのは、単に「問題」を消費しているにすぎないのだろう。

消費しているときはその問題は盛り上がりの「お題」にすぎない。そこでの議論も通り一遍の水掛け論や悪者探しなど、単なる炎上になってしまいがち。そして、ひととおりおもしろがった後は次の「お題」に移り、盛り上がる。

同じ問題に関心を持つにしても、問題意識のアングルは人によってかなり違うはず。一人ひとり独自の、主体的な問題意識が重なったのなら、もっと幅広い解決策や建設的な議論も起こるはずだろうし、粘り強い議論も続くだろう。

問題自身の情報だけでなくそれを取り巻く議論の情報も大量に渦巻いている今の情報社会、流通する問題意識に足をすくわれやすい。そんな中だからなおさら、他人に問題意識を預けないように注意していたい。はやっているからではなく、自分の感性で真に引っかかるものを「問題」として意識したい。

自分の違和感を大切にしよう。

としひで でした。
posted by 創作舞踊集団 寶船 at 11:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 中山 俊秀 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月08日

運命的な出会い

こんばんは。としひで です。

先日は秋公演『門は開かれ』へのご来場、応援、ありがとうございました。今回は週日の夜と言うこともあり、都合を付けていただくのが難しかった方々も多かったかと思いますが、次回(来年5月)は週末ですので、是非ともリベンジで見に来ていただければと思います。

他のところで書きましたが、僕が寶船に加わったのは一昨年の秋公演「宝が宝がやってきた」がきっかけでした。その時の出会いは強烈で、私の人生にとって「運命的な出会い」でした。そして、それからは、僕自身が皆さんとの「運命的出会い」を作れたらと思って寶船の活動に打ち込んでいます。

そこで、今日は、この「運命的な出会い」について考えてみたいと思います。

リゾート


取り組んでいることがグッと面白くなったり、人生の方向性が大きくシフトしたり、という大きな転機は、だいたい「ひと」がカギになっている。出来事や状況の変化がきっかけになることもあるが、実はそんな場合でも、出来事や状況そのものよりも、それによる人との関係の変化の方が本当のきっかけとなっていることが多い。

だから、人との出会いは大切にした方がいい。出会いで人生は決まると言っても過言ではない。人生をよく生きている人の話には、それなしでは自分の人生を語れないかけがえのない出会いや運命的必然を感じさせる出会いの話が決まって出てくる。

こういうことは若い頃からよく聞いてきたが、20代の頃はあまりぴんと来なかった。もちろん話、理屈としてはわかるのだが、「かけがえのない出会い」や「運命的な出会い」がどんな感じのもので、それらにどう巡り合うのかがわからなかった。

それが、歳を重ねて、いくつかの「運命的な出会い」を持つことができて、やっと実感としてわかってきた。
「運命的な出会い」が見つけにくい、特に若い頃にはぴんと来にくいのには実はそれなりの理由がある。

「運命的な出会い」というのは、その他の平凡な出会いと本質的に違うわけではない。だから、はじめの出会いで区別を付けることはできない。
それは、むしろ、はじめは何の変哲もない出会いだったものが、自分の人生がその出会いのまわりに巻き付いて大きく育ってきた、という感じで、後からその道筋を振り返ってみてはじめて感じるもの。

もう一歩踏み込んで言えば、自分の人生がその出会いに深く絡みついて育つかどうかも、自分次第。
その出会いにどれだけこだわり、大切にし、自分の人生を投資していくかということ、それが「ふつーの出会い」を「運命的な出会い」に育てたのだ。
つまり、運命的な出会いを運命的にしているのは、出会いそのものではなく、その後の自分の行動。

「運命的な出会い」というと、起こった瞬間に電撃に打たれたような衝撃が走って魔法のごとく日々ががらりと変わるといった感覚を想像してしまいがちだが、
そうした感覚はその場では感じない。振り返ってみると、そのような劇的な変化として記憶を再編集したくなるものなのだろうが、実際は徐々に変化していくもの。

「すべてを変える運命的な出会い」が降ってくることを期待して天を見ていても何も起こらない。
「運命的な出会い」が転がっているのに出くわさないことに焦りを感じたり、絶望することはない。

前に進んでいるときには、出会った人との関係を大切にして、投資を重ねていくだけ。
「運命的な出会い」は自分が行動を重ねて作っていくもの。
いい出会いにこだわり、大切に自分の人生を絡ませていけば、自然と「運命的な出会い」になっていくだろう。

僕は人生の中で運命的な出会いをたくさん育てたい。
そして、それと同時に、相手が「運命的な出会い」にしたいと思うような出会いを一つでも多く作っていきたい。

としひで でした。
posted by 創作舞踊集団 寶船 at 23:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 中山 俊秀 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月14日

アメトークを見て

数年前、どういう経緯か忘れたが寶船に番組観覧の仕事がよく来ていた。寶船はレスポンスが大きいので、盛り上げるために大げさに笑ったり拍手したりと観客として相応しかったのかもしれない。
当時の連員と一緒に色んな番組の裏側を見た。主にお笑い番組。生で番組が出来ていくところに触れて、芸人さんやテレビ局の真剣な空気を知れた。

収録で見た芸人さんは数知れず、売れる前のフットボールアワーさんなんかもいた。B&Bさんやオール阪神巨人さんや宮川大助花子さんや青空球児好児さんのようなベテランも何人も見た。立川志の輔さんや三遊亭圓楽(当時は楽太郎)さん、三遊亭好楽さんのような落語家さんもたくさん見た。当時は純粋に楽しかったが、今思えばすごく貴重な体験をしたと思う。

昨日のアメトークで、「どうした?!品川」という特集がやっていた。
品川庄司の品川さんが、昔はギラギラしていたのだが今は落ち着いた、どうした?!という趣旨の企画だった。そこで、ギラギラしていた頃の99年にロンドンハーツの前説をしていたということが番組の話題になっていた。
僕は、まさにその品川庄司さんを見ている。ロンドンハーツの収録で、番組の中ではなく、観客を盛り上げる為にだけ登場して、空気をほぐし注意事項を笑いで伝える。まだ品川庄司という名前を世間が誰も認知していなかった時代。すごく印象に残っている。その後、テレビで品川内閣という番組が始まって、あの時の人だ!と、ものすごく嬉しかった。

品川さんのことが嫌いという人は結構多いらしい。毒のある嫌味っぽいトークといつでもチャンスをうかがっている姿勢に賛否があるんだろうと思う。
でも、生で見た品川庄司さんは、本当に全身全霊で笑いを取りにいってる人だった。今よりもっとアナーキーで、笑いの為ならいつでもパンツを脱ぐような下品なまでものハングリーさがあった。
大の大人が皆で真剣にふざけて、それを見て真面目にテレビ局の人達が頭を下げている。その光景は、モノを作る大変さと魅力が詰まっていた。
カメラが止まると同時に芸人にダメだしをするロンドンブーツさん、目に恐いまでもの狂気があり、こんな厳しいんだと思った。違う収録では、逆にカメラが止まってもふざけ続ける爆笑問題さん。カメラが回ってようが止まってようがお構いなし。ふざけないと本気で田中さんをどつく太田さん。形は違うが、どちらも究極の芸人魂を見た気がした。

テレビで見る「ウザいキャラ」「調子に乗ってるキャラ」はすごく真剣に笑いに向き合った結果である。ダイノジの大地さんが、加藤浩次さんに「デブで香水つけてるやつはだいたい腹立つんだよ!」と突っ込まれて、それ以来香水を付けるようになったそう。好感度とかよりも芸人として何をすべきかをまずは考えてるんだと思う。売れてる人達はみんなすごく頑張っている。有名人が嫌なやつばっかりなんて嘘だ。母親が芸能界のマネージャーだったからよくわかる。みんな真剣に闘ってる。

普段の僕らは、テレビを笑って見ながら、面白いか面白くないかを簡単に決めてしまう。でも生で芸人さんの裏側を見れた経験は、自分の視野を広げてくれた。
やっぱり、ただ面白がるより、面白いものを作る側になりたい。
大人が本気で向き合ってる「面白い」には魔法がかかるんだよなぁ。

アメトークのエンディングで、品川庄司さんが髪を坊主にしていた。もちろん企画で決まったことだろうと思う。でも一つの番組の、一つの笑いの為に坊主にする姿勢にめちゃくちゃ感動してしまった。
相方の庄司さんまで坊主にして、髪が薄くなってきたことも笑いにして突っ込まれている。あの姿には、多くの人が胸打たれたのではないだろうか。
前説時代から知っていることもあってか、泣きそうになってしまったアメトークだった。

日々勉強だなと思う。俺も俺なりに闘わなきゃ。

わたる
posted by 創作舞踊集団 寶船 at 10:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 米澤 渉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月11日

踊りかけられたら踊り返せ

お久しぶりです。としひで です。

まだまだ暑い日が続いていますが、阿波踊り大会は終わって、秋祭りがあちらこちらで行われ、季節の移り変わりが感じられるようになってきましたね。

夏に参加するのは今年で2回目。今年の夏も仕事の関係で私は始めと終わりにしか参加できませんでしたが、その少ない参加大会の中では精一杯踊り、叩きました。技術的にはまだまだド素人ですが、それでも素人なりに踊りも太鼓も自分に体になじんできた気がします。

さて、このブログに投稿するのもずいぶんと久しぶりになってしまいましたが、今日は夏の踊りの中で思ったことを書いておこうと思います。

やや欠け月


祭りでの踊りの意義は形を見せることにあるわけではない。その場で身体を削りながら命を燃やすこと、しかも、皆と共に人と人との間で燃やすことにその意味がある。

作り出される形はその命のほとばしり。それは美しいが、その美しさの本当の深みは、自分で命を燃やしたことがある人、燃やそうとしている人にしか見えない。

我々は皆違った踊り方で命を燃やそうとしている。自分なりのやり方で生きようとしている。
そして、そこで生み出された形は植物が吐き出す酸素のようにこの世の新たな生命活動に命を与える。

ただ見物に徹するのは、ただ酸素の消費に徹するのと同じで、生み出された命の元の消費でしかない。

踊り掛けられたら踊り返せ。自分を放り出して命を燃やせ。生命を生み出す活動に加われ。

そんなことを思いながら僕は踊っている。

としひで でした。
posted by 創作舞踊集団 寶船 at 19:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 中山 俊秀 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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