2012年09月14日

アメトークを見て

数年前、どういう経緯か忘れたが寶船に番組観覧の仕事がよく来ていた。寶船はレスポンスが大きいので、盛り上げるために大げさに笑ったり拍手したりと観客として相応しかったのかもしれない。
当時の連員と一緒に色んな番組の裏側を見た。主にお笑い番組。生で番組が出来ていくところに触れて、芸人さんやテレビ局の真剣な空気を知れた。

収録で見た芸人さんは数知れず、売れる前のフットボールアワーさんなんかもいた。B&Bさんやオール阪神巨人さんや宮川大助花子さんや青空球児好児さんのようなベテランも何人も見た。立川志の輔さんや三遊亭圓楽(当時は楽太郎)さん、三遊亭好楽さんのような落語家さんもたくさん見た。当時は純粋に楽しかったが、今思えばすごく貴重な体験をしたと思う。

昨日のアメトークで、「どうした?!品川」という特集がやっていた。
品川庄司の品川さんが、昔はギラギラしていたのだが今は落ち着いた、どうした?!という趣旨の企画だった。そこで、ギラギラしていた頃の99年にロンドンハーツの前説をしていたということが番組の話題になっていた。
僕は、まさにその品川庄司さんを見ている。ロンドンハーツの収録で、番組の中ではなく、観客を盛り上げる為にだけ登場して、空気をほぐし注意事項を笑いで伝える。まだ品川庄司という名前を世間が誰も認知していなかった時代。すごく印象に残っている。その後、テレビで品川内閣という番組が始まって、あの時の人だ!と、ものすごく嬉しかった。

品川さんのことが嫌いという人は結構多いらしい。毒のある嫌味っぽいトークといつでもチャンスをうかがっている姿勢に賛否があるんだろうと思う。
でも、生で見た品川庄司さんは、本当に全身全霊で笑いを取りにいってる人だった。今よりもっとアナーキーで、笑いの為ならいつでもパンツを脱ぐような下品なまでものハングリーさがあった。
大の大人が皆で真剣にふざけて、それを見て真面目にテレビ局の人達が頭を下げている。その光景は、モノを作る大変さと魅力が詰まっていた。
カメラが止まると同時に芸人にダメだしをするロンドンブーツさん、目に恐いまでもの狂気があり、こんな厳しいんだと思った。違う収録では、逆にカメラが止まってもふざけ続ける爆笑問題さん。カメラが回ってようが止まってようがお構いなし。ふざけないと本気で田中さんをどつく太田さん。形は違うが、どちらも究極の芸人魂を見た気がした。

テレビで見る「ウザいキャラ」「調子に乗ってるキャラ」はすごく真剣に笑いに向き合った結果である。ダイノジの大地さんが、加藤浩次さんに「デブで香水つけてるやつはだいたい腹立つんだよ!」と突っ込まれて、それ以来香水を付けるようになったそう。好感度とかよりも芸人として何をすべきかをまずは考えてるんだと思う。売れてる人達はみんなすごく頑張っている。有名人が嫌なやつばっかりなんて嘘だ。母親が芸能界のマネージャーだったからよくわかる。みんな真剣に闘ってる。

普段の僕らは、テレビを笑って見ながら、面白いか面白くないかを簡単に決めてしまう。でも生で芸人さんの裏側を見れた経験は、自分の視野を広げてくれた。
やっぱり、ただ面白がるより、面白いものを作る側になりたい。
大人が本気で向き合ってる「面白い」には魔法がかかるんだよなぁ。

アメトークのエンディングで、品川庄司さんが髪を坊主にしていた。もちろん企画で決まったことだろうと思う。でも一つの番組の、一つの笑いの為に坊主にする姿勢にめちゃくちゃ感動してしまった。
相方の庄司さんまで坊主にして、髪が薄くなってきたことも笑いにして突っ込まれている。あの姿には、多くの人が胸打たれたのではないだろうか。
前説時代から知っていることもあってか、泣きそうになってしまったアメトークだった。

日々勉強だなと思う。俺も俺なりに闘わなきゃ。

わたる
posted by 創作舞踊集団 寶船 at 10:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 米澤 渉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月11日

踊りかけられたら踊り返せ

お久しぶりです。としひで です。

まだまだ暑い日が続いていますが、阿波踊り大会は終わって、秋祭りがあちらこちらで行われ、季節の移り変わりが感じられるようになってきましたね。

夏に参加するのは今年で2回目。今年の夏も仕事の関係で私は始めと終わりにしか参加できませんでしたが、その少ない参加大会の中では精一杯踊り、叩きました。技術的にはまだまだド素人ですが、それでも素人なりに踊りも太鼓も自分に体になじんできた気がします。

さて、このブログに投稿するのもずいぶんと久しぶりになってしまいましたが、今日は夏の踊りの中で思ったことを書いておこうと思います。

やや欠け月


祭りでの踊りの意義は形を見せることにあるわけではない。その場で身体を削りながら命を燃やすこと、しかも、皆と共に人と人との間で燃やすことにその意味がある。

作り出される形はその命のほとばしり。それは美しいが、その美しさの本当の深みは、自分で命を燃やしたことがある人、燃やそうとしている人にしか見えない。

我々は皆違った踊り方で命を燃やそうとしている。自分なりのやり方で生きようとしている。
そして、そこで生み出された形は植物が吐き出す酸素のようにこの世の新たな生命活動に命を与える。

ただ見物に徹するのは、ただ酸素の消費に徹するのと同じで、生み出された命の元の消費でしかない。

踊り掛けられたら踊り返せ。自分を放り出して命を燃やせ。生命を生み出す活動に加われ。

そんなことを思いながら僕は踊っている。

としひで でした。
posted by 創作舞踊集団 寶船 at 19:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 中山 俊秀 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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