2012年10月18日

自分の問題意識を大切に

としひで です。

先日、社会問題を学び主体的に考えるためのスタディツアーを作っている面白い団体(>リディラバ)の説明会で面白い話を聞きました。

いろいろな社会問題がマスコミに取り上げられたりしているのになぜ解決しないか。
それは、人々がそれらの問題を話題として消費するにとどまり、主体的な関心を持っていないから。

この「問題の消費」という見方が、まさに!でした。ということで、今日は「問題意識」について考えたことを。

問題意識は自分の生きる方向性、意識の仕方、価値の置き方や選び方を決めるもの。
ある意味、自分の生き方すべてを方向付けている。しかし、そこを以外と考えていない。

社会問題にしても、学問的問題にしても、多くの人は、マスメディアにしても論集などにしても、周りの権威が選び作ったものを拾い上げ、それに反応し、声を上げる。

確かに、今社会で起こっていることを敏感に感じ取るセンスは大事。でも、それは、誰かが形作った「問題意識」の流行りに乗ることとは違う。流行りに乗って盛り上がるのは、単に「問題」を消費しているにすぎないのだろう。

消費しているときはその問題は盛り上がりの「お題」にすぎない。そこでの議論も通り一遍の水掛け論や悪者探しなど、単なる炎上になってしまいがち。そして、ひととおりおもしろがった後は次の「お題」に移り、盛り上がる。

同じ問題に関心を持つにしても、問題意識のアングルは人によってかなり違うはず。一人ひとり独自の、主体的な問題意識が重なったのなら、もっと幅広い解決策や建設的な議論も起こるはずだろうし、粘り強い議論も続くだろう。

問題自身の情報だけでなくそれを取り巻く議論の情報も大量に渦巻いている今の情報社会、流通する問題意識に足をすくわれやすい。そんな中だからなおさら、他人に問題意識を預けないように注意していたい。はやっているからではなく、自分の感性で真に引っかかるものを「問題」として意識したい。

自分の違和感を大切にしよう。

としひで でした。
posted by 創作舞踊集団 寶船 at 11:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 中山 俊秀 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月08日

運命的な出会い

こんばんは。としひで です。

先日は秋公演『門は開かれ』へのご来場、応援、ありがとうございました。今回は週日の夜と言うこともあり、都合を付けていただくのが難しかった方々も多かったかと思いますが、次回(来年5月)は週末ですので、是非ともリベンジで見に来ていただければと思います。

他のところで書きましたが、僕が寶船に加わったのは一昨年の秋公演「宝が宝がやってきた」がきっかけでした。その時の出会いは強烈で、私の人生にとって「運命的な出会い」でした。そして、それからは、僕自身が皆さんとの「運命的出会い」を作れたらと思って寶船の活動に打ち込んでいます。

そこで、今日は、この「運命的な出会い」について考えてみたいと思います。

リゾート


取り組んでいることがグッと面白くなったり、人生の方向性が大きくシフトしたり、という大きな転機は、だいたい「ひと」がカギになっている。出来事や状況の変化がきっかけになることもあるが、実はそんな場合でも、出来事や状況そのものよりも、それによる人との関係の変化の方が本当のきっかけとなっていることが多い。

だから、人との出会いは大切にした方がいい。出会いで人生は決まると言っても過言ではない。人生をよく生きている人の話には、それなしでは自分の人生を語れないかけがえのない出会いや運命的必然を感じさせる出会いの話が決まって出てくる。

こういうことは若い頃からよく聞いてきたが、20代の頃はあまりぴんと来なかった。もちろん話、理屈としてはわかるのだが、「かけがえのない出会い」や「運命的な出会い」がどんな感じのもので、それらにどう巡り合うのかがわからなかった。

それが、歳を重ねて、いくつかの「運命的な出会い」を持つことができて、やっと実感としてわかってきた。
「運命的な出会い」が見つけにくい、特に若い頃にはぴんと来にくいのには実はそれなりの理由がある。

「運命的な出会い」というのは、その他の平凡な出会いと本質的に違うわけではない。だから、はじめの出会いで区別を付けることはできない。
それは、むしろ、はじめは何の変哲もない出会いだったものが、自分の人生がその出会いのまわりに巻き付いて大きく育ってきた、という感じで、後からその道筋を振り返ってみてはじめて感じるもの。

もう一歩踏み込んで言えば、自分の人生がその出会いに深く絡みついて育つかどうかも、自分次第。
その出会いにどれだけこだわり、大切にし、自分の人生を投資していくかということ、それが「ふつーの出会い」を「運命的な出会い」に育てたのだ。
つまり、運命的な出会いを運命的にしているのは、出会いそのものではなく、その後の自分の行動。

「運命的な出会い」というと、起こった瞬間に電撃に打たれたような衝撃が走って魔法のごとく日々ががらりと変わるといった感覚を想像してしまいがちだが、
そうした感覚はその場では感じない。振り返ってみると、そのような劇的な変化として記憶を再編集したくなるものなのだろうが、実際は徐々に変化していくもの。

「すべてを変える運命的な出会い」が降ってくることを期待して天を見ていても何も起こらない。
「運命的な出会い」が転がっているのに出くわさないことに焦りを感じたり、絶望することはない。

前に進んでいるときには、出会った人との関係を大切にして、投資を重ねていくだけ。
「運命的な出会い」は自分が行動を重ねて作っていくもの。
いい出会いにこだわり、大切に自分の人生を絡ませていけば、自然と「運命的な出会い」になっていくだろう。

僕は人生の中で運命的な出会いをたくさん育てたい。
そして、それと同時に、相手が「運命的な出会い」にしたいと思うような出会いを一つでも多く作っていきたい。

としひで でした。
posted by 創作舞踊集団 寶船 at 23:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 中山 俊秀 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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