2011年12月21日

感性はゼロにはなれない

毎年クリスマスが近づくと、山下達郎やジョンレノンのクリスマスソングを耳にする。
寒い帰り道、クリスマスムードに飾られた商店街から聞こえるクリスマスソング。家に着いてコートを掛け、ふとテレビをつけると流れるクリスマスソング。聞き飽きるほど聞いているはずなのに、なぜか毎回いいなぁと思う。

脳科学では、感動は記憶中枢と密接にリンクしているらしい。
感動には無意識に記憶を蘇らせる力があり、クリスマスソングで心が浮き立つのは、皮膚感覚で冬の寒さや寂しさ、さらに暖かい思い出や嬉しさが重なって蘇るから。

クリエイティブな作品は、それ自体をあれこれ分析しても説明出来ない。物事は全て影響し合って、結びついて生まれているから。

僕は昔、なるべく予備知識をなくして作品を感じることが芸術では大切だと思っていた。でも、それは不可能だった。
「予備知識なしで純粋に楽しむ」ということはむしろ全く純粋ではない。不自然であるし無理だから。
映画でどんなに物凄いアクションシーンがあっても、僕らは「CGすごいなぁ」と思ってしまう時代。無声映画の頃の人々とは感じ方が違って当たり前。

人間の感性は、どうやってもゼロにはなれない。はっきり言ってしまえば、昔の人と同じようには楽しめないのだ。

しかしそれが、当たり前。昔だって、さらに昔の人と同じようには楽しめない。いつの時代もそうなのだ。

ならば、今の時代の僕らが持つ感性を基盤にするしか方法はないのだ。前回の中山さんのブログであるように、僕らの感性は、今を生きる僕ら自身が磨いて感動を掴むべき。それが本当の純粋だと思うようになった。
そしてその感性は、クリエイティブな作品として、時代や生きる環境や社会問題など、様々なものが影響し合って生まれていく。クリスマスソングが胸を打つのと同じように。

デザイナーの三宅一生さんがこんな言葉を言っていた。「ファッションは、それ単体で存在することは決してない。いつでも時代と共に存在する。ならば、現実離れしたものを創造し人々に夢を与えるか、現実に一歩踏み込んでメッセージを送るか、どちらかだ」と。

阿波踊りも同じだろう。伝統も芸能も、まさにそういうものだ。「昔」をキープし続けると、時代と離れ、色褪せる。今の僕らだからこそ出来る踊り、それをクリエイティブしてバトンを渡し続けなければ、「伝統」として続かない。

寶船は、今すごく燃えている。いつか寶船で世界を回ろう。汗をかきながら笑いあって、色んな町で踊っている姿が目に浮かぶ。

毎日が勝負だぜ。
でかいことしような。

わたる




posted by 創作舞踊集団 寶船 at 13:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 米澤 渉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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