2012年01月10日

"庭"とはなにか。

わたるです!
新年一発目!今日は、庭の話。

高校の同級生の"しまけん"は、京都で庭師をしている。昨年、年越しは東京に帰ってくるというので会う約束をし、大晦日に朝まで飲んだ。僕はソフトドリンクだったが。

彼が話す庭師の哲学は非常にクリエイティブで芸術的。話していてこんなに学びの多い同級生はなかなかいない。そんなしまけんの話しをしたい。

彼は実家の庭を掃除しているうちに、"庭"の空間がもつ魅力の虜になった。その後九州の学校で庭の基礎を学び、"庭"の本場・京都で働いている。

庭は、単なるスペースではない。有限な空間をいかに趣きある空間に仕上げるか、昔の人は日本の「美」を追求し続けた。

大晦日の深夜、居酒屋の壁を触りながら言う。
「この木とこの木は、誰かが無意識にしろ、隣合わせに選んだからここに並んで壁になってるんだ。元々は別の木だったかもしれないし、偶然これじゃないものを選んでいたら全然違う空間だったんだよね。」
しまけんは、そんな偶然や運命と言うべき巡り合わせに感動して今の仕事をしているという。

同じ植木の巡り合わせは二つとない。自分がハサミを入れるように誰かが同じ切り方で木を切ることもできない。
どの石を碑に使い、どんな空間を作るのか、一期一会の巡り合わせを想像しながら自分の納得のいく庭が出来たとき、深い感動があるそう。

そして、もう一つ。庭は、成長する芸術だという。植物は必ず育つ。しまけんは植木にハサミを入れる際、必ず数年後にこの庭がどうなっているかを思い巡らせながら切るという。
その日一日がキレイにまとまればいいわけではない。新しい芽や苔とともに、成長しながらも美しくたたずむ庭。そして、ある時点の瞬間を完成と呼ぶのではなく、共に美しく生きつづけること自体が完成なのかもしれないと言う。
しまけんは、楽しそうにそんな話をした。

日本には不思議な美がある。とくに京都に訪れると、お寺の庭や空間の美には無知な僕でさえも心休まる魔法がある。

しまけんは、枯山水を広めたと言われる夢窓疎石という人物に憧れがあるらしい。庭を知るためには禅や茶道も知らなければならないと、茶道も習ったりしているようだ。しまけんの情熱をもらって、空間とは何かを思い過ごす正月。いい新年だ。

"作る"という立場は僕も同じ。僕ら阿波踊りも、踊り手とお客さんや、演目とシチュエーションは一期一会。空間を作る要素全てが庭の美と同じところに感動がある。

共に生きているということが美であり、そもそも瞬間の点ではなく、それ自体全てが芸術なのではないか。
寶船の目指す、「共に生きているという踊り」と全く同じだなぁ。

庭の魅力を紐解けば、現代の僕らが忘れかけている"美"とは何かのヒントがあるかもしれない。

皆さんも、そんな気持ちで空間を楽しんでみてね。


渉でした。
posted by 創作舞踊集団 寶船 at 08:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 米澤 渉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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