2012年01月26日

ちょっと変わった自分を出す理由

こんばんは。としひで です。

告白します。
私は今年49才になろうというのに髪の毛を伸ばして後ろで縛ってます。

そもそもなんで髪の毛を伸ばすに至ったかについては、まあ、いろいろな考えがあったりなかったりですが、今ではそれなりの思いがあってやっています。

髪の毛を縛り始めたときには、反響はあって、「どうしたの?(驚・笑)」という人から「いいじゃん!」という人までいろいろ。もちろん、面と向かってそうは言いませんが「なにあれ?」「いい歳して!」「ばかだねえ!」とか思っている人もたくさんいるでしょう。ありがたいことに、親はそういう言いにくいことを言ってくれるもので、ちゃんとした社会人としてはいかがなものかという趣旨の忠告をくれました。

髪を縛っているなんて「ちゃんとした大人」のすることではない、という一般的感覚は私もわからないではないです。でも、だからこそ、その一般的感覚に埋もれたくないのです。私は「誰とも同じ」ではないです。これは私が特別個性的ということではなくて、私は私なりの変わったところがあるということです。人間誰一人「みんなと同じ人」なんていないでしょう。ちょっと違和感を作って、この人どんな人?とひとが思うきっかけを作れればおもしろい、くらいの気持ちです。

もちろん、その違和感が不快感や不信感につながるリスクも少なくないと思います(特に立派な社会人の人には)。でも、そういうリスクをかかえることが、逆に自分の毎日に適度な緊張感を与えてくれて、良いところもあります。それに、もし縛った髪の毛ですべてがダメになるような行儀のいい世界ではどのみち窮屈でうまくやっていけない気もするので、予めそんなところもあるやつだとわかった方がいいかななどと思ったりも。

昔はそんな自分のにおいを出すのはすごく恥ずかしかったけれども、変わりました(まだ恥ずかしさは多分にありますが)。

それは、年をとってふてぶてしくなったのもあるけれども、より大きいのは、自分のにおいに共感してくれる人に会いたいという気持ちの方が強くなってきたこと。自分のにおいを消して「みんな」(つまり不特定多数の誰かたち)にヘンだと思われたりしないようにすることよりも、個性的な自分(ちょっと変わっている自分)をそのまま出して、似たような「個性的な他人」(同じようにちょっと変わっているあの人)に強い共感を感じてもらえることの方が大事に思えてきたんです。

自分と合う、いい人に会いたい!でも、たくさんの人の中からそんな人を見つけるのは簡単じゃない。だったら、自分からも信号出して、相手に見つけてもらいやすくしよう!と、そういうわけです。

だから、私が「個性的な自分」を出していこうとするのは、たんなる「目立ちたがり」と少し違います。いや、まあ、目立ちたがりとも言えますが、いわゆる巷に言う目立ちたがりは不特定多数のみんなの目を惹きたいというのに対して、私の目立ちたがりは、自分の感性と響き合う狭い範囲の人に対して目立ちたい、と言うことなんだと思います。

としひで でした。
posted by 創作舞踊集団 寶船 at 00:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 中山 俊秀 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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