2012年04月25日

「命がけ」と喜びのやり取りについての追記

こんばんは、としひで です。
数日前のブログで、僕は命がけで喜びにこだわり、命がけで人を喜ばせたい、ということを書きました。その後、このことに関して二つばかり書き足したくなったので、追加を。

まず、「命がけ」ということばについて。

ご存じの通り、寶船の合い言葉は「踊り出したら命がけ」。寶船はとにかく手加減せずに全力を出して踊る、という意味ですが、この「命がけ」ということばが微妙にしっくり来ていなかったんです。それというのも、「命がけ」というと、僕には特攻隊のような破れかぶれの体当たりという感じで、文字どおり死にものぐるいで死ぬつもりで無茶をするといったイメージがあったんです。でも、僕は思い切り生きるために踊っている。そのあたりのズレが「命がけで踊る」ということばに違和感を持たせていたのだと最近(きのう!)気がつきました。そして、同時に、実は「命がけ」というのはそういう意味ではないのだと気がついたのです。

みなさんが「命がけ」ということばに対して持つイメージがどんなものかわかりませんが、僕と同じような感覚の人もいるかもしれないので、その人たちのために僕の気づきを共有します。

「命がけ」というのは、本気で命をつぎ込むということ。これは命をなげうつと言うことではなく、大事にすることに全力で命を余すところなくつぎ込んで生き切るということです。だから、「命がけで踊る」というのは、自分の力を全て出し切って踊ることを通して大いに生きる、ということです。命がけで喜び、喜ばせる、というのも、喜び、喜ばせることを一生懸命やってとことん生きる、ということです。

これがわかってやっと、「命がけで踊る」という言葉がストンと心に落ちました。遅ればせながら。

二つ目は、人を喜ばせるということの意味について。

命がけで人を喜ばせたいと思っている僕にとって、人が喜んでくれることは無性にうれしい。先週わたるくんがこのブログに書いてくれた気持ち(>この記事)は涙が出るほどうれしかった。良いことを言ってくれたとかいうことではなく、僕との出会いや僕と話したことを喜んでくれたことが、うれしい。

審査や批評家などの「客観的な評価」や「賛辞」などもありがたいことには違いないが、そうした生の感覚を押し殺して平均化された基準にはめ込まれた反応ではなく、一人ひとりの人の小さくても生で純粋な喜びこそに、僕は生きがいを感じる。

だから、僕も大切な人には「客観的な評価」や型どおりの「褒め言葉」で気持ちを伝えるような無礼なまねはしない。自分のもらった喜び、感動を素直に直接伝えたいと思う。

そして、そんな生で純粋な喜びをやり取りする関係の中で生きていきたいと思う。

としひで でした。
posted by 創作舞踊集団 寶船 at 00:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 中山 俊秀 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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