2012年07月08日

秋公演稽古中!

ただいま、秋ワンマンの稽古中!!
台本が一部上がってきました!
楽しみです。
今回はまたさらに違った公演になりそうです。
阿波踊りシーンもいっぱいありますよ!

寳船 秋公演 「門は開かれ」
9月20日木曜日/21日金曜日
開場 6時30分
開演 7時
会場 仙川劇場


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2012年04月08日

桜が綺麗ですね!

桜の季節になりました!
今年は遅かったですねー。
でも、寶船は例年より咲くのが早いです!
今日も稽古ですが、暖かくなってきたので、いつにも増してテンションが高いです。
5月のワンマンでは、サラヴァの隣の文化村が揺れるほどのテンションになりますよ!!
ということで、おまけ動画です。



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2012年03月25日

今日も稽古です

今日もお昼から9時間稽古です!
面白くなりそうです!

昨日は秋公演のため、劇場見学に行ってきました!
ワクワクします!

だけど。その前に!
春ワンマンをお楽しみに♫
平成24年5月19日土曜日/20日日曜日ですよ〜!


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2012年03月09日

ただ今稽古中!

5月のワンマンに向かって稽古中です。
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2012年03月04日

ライバル

お久しぶりです。
めぐみです。

突然ですが、あなたにはライバルはいますか?
憧れはありますか?

普段、何を目標に、何を超えるために行動しているでしょうか?

周りの人たちは、良かれと思って色々なアドバイスをくれます。
それらの内容は理に適っていることが多いので、なるほど〜と思うことも多いと思います。
だけど面白いことに、複数のひとから、両方とも理に適っているのに、何故か対立するアドバイスをもらうこともあります。

そして、一番多いのは、「言っていることはよくわかるし、正しいとも思うけど、心情的に腑に落ちないこと」かもしれません。
自分では良かったと思っていたのに、周りの評判はよくない。
自分ではよくないと思っていたのに、周りにはやたらと褒められる。
とかね。

それは、自分の理想と違うからなのではないか?
と思うんです。
周りの人には、思い描く理想がわかるとは、必ずしも言えません。
だからアドバイスも、自分の理想に近づく糧になるとは限りません。

だからこそ、本能的に「なんか違うんだよな。。。」と思うのではないかと思うんです。
自分の行きたい方向とズレてる気がする。。。
と、実は気が付いているのかもしれません。

ならば、自分の理想へ向かうアドバイスを聞きましょう。
進むべき未来は自分にしかわかりません。
だからこそ、どのアドバイスを聞くかが、大きな問題になってきます。

「理想」は、「なりたい自分の姿」は、具体的にあるでしょうか?

意外と怖いのは、憧れをそのもの自分の理想だと思ってしまうことです。
確かに、目に見える憧れは具体なものです。
でも、待ってください。
憧れはあなたではありません。
生まれ育った環境・・・どころか、根本的に同じことは一つもありません。
絶対にその人にはなれません。
まあ、当たり前のことですが。

憧れがあるのは凄いことです。
生きるモチベーションになります。

しかし、その憧れが人や「もの」であった場合、どうやっても超えられないことが多いでしょう。
だから、場合によっては劣等感に苛まれることになります。

では、どうしたらいいか?

私は、自分の最大の憧れであり、最大のライバルは、未来の自分、理想の自分であると考えます。
将来の自分の姿はどうなっていますか?
どんな自分が見えるでしょうか?

自分の姿を考える時に憧れを参考にするのはいいでしょう。
未来はまだ決まっていないのですから、無謀な位の理想でもいいでしょう。
その姿がより輝いてさえいれば。

その未来の自分は今の自分にどんなアドバイスをするでしょうか?
誰と比べるよりも、未来の自分と張り合いたいものです。
未来の自分は、「自分」ですから、必ずなれます。


私は、その、いつかの自分と張り合って、より高みへ上がりたいと思います。

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2012年01月09日

狼煙をあげろ!

あけましておめでとうございます。
もう、明けてしまってから8日も経ってしまいましたが。。。

めぐみです。

去年は2月の梅祭りをスタートに色々なことがありました。
3月はハワイ遠征と東日本大震災が、2011年を記念する最高と最低が全く同じ日程で起きました。
そんなこともあり、1年はあっという間でした。
今年はどんな年になるか。。。それは私たち次第です。
思い出したときに、「忙しくて、またあっという間だったけど、成果も沢山あった!」と思える年にしたいものです。

今日、渉君と久保ちゃんと車に乗っている時に話したことで自分と違って面白いなと思ったのが。

25歳になって、「今、自分が夢中になってやっている状態が楽しい」ところから、「もっと先に爪痕を残さないと。人を巻き込んで大きなことをやりたい。そっちの方が面白い」に変わってきた。

と言うようなことを渉君と久保ちゃんが話していました。
二人は大きいことを考える様になるにはある程度の年齢が必要だよね〜。と話していて。

へぇ〜。と思っておりました。

私はあまり面白い!とか、感動した!とか、好きだ!とか、で動いたことがなく。。。
時代を変えるとか、革命を起こそうとか、でかいことを色々と言っておりますが、野心という感じでもないのです。
でかいことをやろうぜ!とか、面白いからやりたい!というのが行動原理になったことがあまりないのです。

これは、私の性格なのでしょうね。

なんでか、勝手な責任を感じて、やらなければいけない!と一人で焦っていることが多いのです。

中学生のときには、うちの連を背負っていこうと決めていたので、寶船と阿波踊り以外のことはすべて人生からなくそう、寶船に必要なことだけをやっていこうという覚悟を勝手に決めていました。
だから、寶船以外のことを人生に取り入れるのはハナから考えられません。
好きなことをやっていいんだよ。と言われたこともありますが、それがよくわからない。

「阿波踊りを考える。」というブログを始めたのは実は20歳のときです。
そんな若輩者が偉そうなことを書くのはどうかと思ったので、わざと年齢は伏せておりました。
ほとんどの読者さんが40代後半の人間だと思っていた様で、新しい方にお会いする度に驚かれていましたが(笑)
そのブログを始めた理由も、正しい阿波踊りのあり方や、正しい問題提起をしていかなくては!という責任感でした。
阿波踊りが移り変わっていくのは摂理だしいいことですが、阿波踊りの魅力である多様性が明らかになくなっていっている、溢れんばかりのエネルギーがどんどん減っていっている。それが現実です。
長年見ている人たちで気付いている人は沢山いますが、なぜか意外と踊り手にはいなかったりするのです。
演者の側では、今現在の権力争いをしていたり、徳島有名連の崇拝ばかりしているのが、正直、今現在の阿波踊り界の現状であると思います。
それはブログを始めた10年近く前からほとんど変わっていません。
その現状に気がついていて、何かアクションを起こす人間はどうやら私しかいないようだ。と思ったのがブログを始めたきっかけです。
別に私がやらなくてもいいんですが。
何ともいえない切迫感に悩まされました。

勝手に責任感を感じて、勝手に背負い込んでおります。
阿波踊り界の未来、すべてが私の行動で変化していくと。
ある意味、大変な自意識過剰でございます。
昔は変な性格だと、典型的な長女癖だと思っていましたが、最近ではこれが私の良さなのだと思うようにしています(笑)

ただ。
今なにをするのかで、未来は激変します。
実はそれは紛れもない事実なのです。
本当に、私が何をするかで阿波踊りの未来は変わります。
そして貴方が何をするかで貴方の関わる未来は変わります。
貴方が阿波踊りをしている人であった場合、今日の行動が10年後の阿波踊りの未来を変えているかもしれない。

少しでも関わっている以上、おそらく選挙権1票よりも大きな結果が待っているでしょう。
蝶の羽ばたきが大きな竜巻を起こしているかもしれない。

そんなことわからないんです。

どうせなら、未来を変えましょうよ。


今日は2月の下北沢での公演の打ち合わせに行っておりました。
(これはもう公表していいんだよね?)
そこでの会話でとても印象に残っているのが。

誰が狼煙をあげるのか。

面白かったので、今回の記事のタイトルにしました。

寶船の名の下に、新しい時代を創る戦いの狼煙をあげよう!!

posted by 創作舞踊集団 寶船 at 02:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 米澤 萌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月04日

いい人との出会いがありました。

めぐみです!

携帯でこのblogを見ると、記事ごとのカテゴリーも見えないし、誰が書いたかわからないことに最近気付きました。

だから、出来るだけ最初と最後に名前を入れる様にしたいと思います。

でも結構忘れちゃうんですよね。
気をつけます。


先週も面白い出会いがありました。
そして今日も面白い出会いがありました。

両方とも下北沢絡みです。


先週はヨネ家にお客様が来ました。下北沢在住のコメディアン兼俳優さん。
笑いました〜。
語りました〜。
未来にワクワクしました。

名前を出していいか、まだ聞いてないので、確認してからまた書きます。

一緒に生きていけると素敵です。


今日は下北沢まで会いに行きました。

イロイロあって、とりあえずお話を聞きに行って、下見をしてきたんですが!
かなり面白くなりそうです。
会場責任者の太田さんは、未来に対する考察が的確で面白い!
私達と考えていることが似てる!

下北沢から新しい文化を!!
革命を!!


と、言うことで、色んなプロジェクトが進行中です。
確定したらすぐにお知らせしますよ♪


お楽しみに♪♪♪
posted by めぐみ at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 米澤 萌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月21日

大人になったら我慢しない。

先日家でご飯を食べていた時のこと。
おかずのお肉がなくなって、
「これ、もうないの?」と陸君。
「焼いてないお肉ならあるよ。」
と、母。
「今から焼くの面倒臭いしな〜。」
と、陸君。
そしたら父が、
「食べたいなら、焼いて食べた方がいい。
大人になったらやりたいことを我慢しない。
子供の頃は、我慢を覚えた方がいいけどね。」
と。

子供の頃は、思いどうりにいかないことを覚える必要がある。
けど。
大人になったら、やりたいことを全部やる。
我慢しない。


なるほど。


何かハッとするものがあった。


大人は我慢しないで、やりたいことを全部やる。


なるほど。
確かに、大人になったら、出来ないかも、とか、迷惑かけるし、とか、余計なことを沢山考える。
そして、何もしないで諦めることが多い。

だけど。

本当はやりたいんだけどな。。。と悶々としても、
やっちゃえ!と、やりたいことをやっても、
実はあまり変わらなかったりする。

確かに。
だったら、やりたいことをやった方がいいじゃないか。

もちろん、父とは、連長です。

大人になると、出来ないと思ったり、やっちゃいけないと思っているから、
我慢しないで行動するのが難しい。
だから、あえてやりたいことを我慢しない。
たとえ1回の食事だったとしても。


最近、未来に向かってドンドン動き始めている。
と言うか、いっそ未来が向こうから近づいて来ている。

絶対無理だと思っていたワンマンはもう5回終わったし、しかも、今年は2日間開催だった。
海外に行きたいね。と言っていたら、春にはホノルルに行った。

今「こんなことやりたいね。」とか、「こんな風になれたらいいね。」と言っていることは、
近い将来実現するだろう。
すでにカレンダーに書き込む直前のものもある。

私たちは大人になって、未来の怖さと楽しさを両方知った。
私たちは大人になって、やりたいことを実現させる為の手段や方法を知った。
今できる訳ではないかもしれない。
だけど、何をしたらどんな結果が返ってくるかを知った。
だから。
やりたいことを我慢しないで全部やる。
未来は不確定で、どうなるかわからないのが面白い。
それを大人になって知ったから。

人生で一番楽しい時期は大人です。
だから、大人の期間がながいんだよ。きっと。

来年が楽しみだ。
来年の今頃は、今は思いもしない未来を描いているだろう。









この記事も、全部書いてから全部消えるとは思いもしなかった。
2回書くのは、なかなか辛いね(笑)
失敗は将来笑顔になる。


・・・はず。
posted by 創作舞踊集団 寶船 at 00:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 米澤 萌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月13日

ワンマンを振り返って

2011年秋ワンマンが終わって早2週間。
ホッとしていたら、2週間も経っていました。

今回のタイトルは「ひとつの約束」。
そして副題に「いい人に出会えて、いい人を愛すること」。

いい人はどんな人か?
悩みました。
かなり悩みました。


゛いい人゛という完成形はあるのか?

究極の問いですが、あなたはどう思いますか?

自分なりだけどある。
と言う人もいたし、
いや、絶対ない。と言う人もいる。

私は゛人゛としての゛いい人゛の完成形はないと思います。


公演中のトークでも言いましたが、私は、いい人と言うのは人間関係の中にあると思いました。
゛いい人゛と言うより、゛いい人の関係゛。
そして私なりの感覚ではありますが、゛いい人の関係゛の完成はあると思います。


その人によって居心地のいい人や、居心地のいい関係は違うと思いますが、前向きに頑張れる関係と言うのはあるはずです。
その関係で何かをやろうとすると盛り上がる、ドンドン進んでいく。色んな面白いことが出来そうで、ウキウキ、ワクワク
しちゃう関係。
それは多分いい人の関係です。

一人では進めないことが、一緒にいると出来てしまう。
そんな関係。
それがいい人の関係です。


寶船はいい人の関係になってきました。
もともとそんな芽はありましたが、まだまだちっちゃい芽でした。
それが最近少しずつ双葉になり、そろそろ青葉になろうかというところまできた様に思います。

メンバーや活動などが、残念ながらイロイロな理由でリタイアしてしまったり、淘汰されてしまうのは自然の節理です。
しかし、寶船は能力や環境が多少きつくても、寶船に乗った人とは出来るだけ遠くまで行きたいと思っています。

だから年2回のワンマンは続けていくし、必ず夏の阿波踊り会場では死に物狂いで踊ります。

皆さんと寶船の絆もいい人の関係となり続けていけたらと思います。


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2011年11月06日

下書きで止まっていた記事

2007年頃に自分のブログ記事用に書いていて、下書きのまま止まっていた記事を見つけた。
タイトルは「ブランド」
一体どんなことを書こうとしていたのか?
正直思い出せない。
でも。
自分の記事ながら何か面白かった。
だから。
その未完成のまま、載せてみる。
この後に何を書こうと思っていたのか思い出せたら、今度こそちゃんと書こうと思う。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


私はダンサーではない。
私は踊り手ではない。

私は舞踊家である。
一個の舞踊家である。

つまりは私の連に所属する
一個の舞踊家である。

そして

連における私は
単に舞踊家ではない。

舞踊家であり、
振付師であり、
演出家である。

つまりは連を構成する
一個の手足である。
連の感覚を表現する手段としての
一個の手足である。

さらに
姉であり、
母であり、
保護者であり、
擁護者である。

指導者であり、
教育者である。

つまりは
連を構成する一個の概念であり、
エネルギーである。


さて、では
総体としての私は?

これら全てを模った意識の集合体である。

そこから
阿波おどり界の未来を担う
意識の集合体である。

阿波おどりの世界に袖が掠った
全ての人達と同じく、
嫌が応でも阿波おどり界の未来を担う
一個の意識体である。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜以上。ここまで。
posted by 創作舞踊集団 寶船 at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 米澤 萌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月15日

楽しいの向こう側

楽しい!!
カッコイイ!!
好き!!


って言うのは、とてもステキな感覚です。
非常に強いエネルギーをくれます。
頑張る原動力と言っていい。


だけど。


行動の基準が、楽しい!とかカッコイイ!ってだけでいいのか!?と、最近よく思うのです。


誰かを見て、カッコイイからそれを真似する。
同じことをやりたいと思う。
楽しそうだから、やってみたい。
そして、楽しいと満足する。


それって、どうなんでしょう?


もちろん、上達の基本は模倣ですから、魅力的なものの真似を否定したいわけではありません。

また、楽しむな!とか地味に真面目にやるのがいいことだ!とか言いたいわけでもありません。


でも。


練習中にただ楽しいのは、到底上達の方向へは進んでいないと思うんです。

だって、稽古って、特に各自の踊りの稽古って、自分の身体や感覚との対話じゃないですか?
自分の意識を研ぎ澄まして、理想と現実のギャップを埋めるものじゃないですか?

楽しいわけないんです。
だって、出来ないんですから。
納得出来ないんですから。


誰かよりも出来るかもしれない。
出来ないかもしれない。
でも、そんなの関係ないんです。
あくまでも自分の最終地点の問題で、ソコヘたどり着かない限り満足したらおかしいと思うんです。


近付いてる予感はあるかもしれない。

その後、実感もあるかもしれない。


その時やっと、こっそり拳を握ってしまう様な楽しさがジワジワと追い付いてくるんです。
達成感と一緒に。
その時は、是非とも心置きなくニヤニヤして下さい(笑)


派手さはないし、誰かと簡単に共有出来る様なものではないけど、このやり方しか上達や成長はないと思っています。

だから、稽古は悔しい位で調度いい。


そして振りの場合には。


魅力を感じたものを模倣することは、一見、称賛の様に感じますが・・・。


本当そうでしょうか??


私はオリジナルの作者に対する侮辱にあたると思っています。
(ただし、オマージュ等のことを言っているのではありません。悪しからず。)

なぜか?

だって、オリジナルの作者は相当考えて考えて、苦しんで苦しんで、身を削る様にして生み出しているハズです。
回りには簡単に見えるかもしれない。
本人も大したことないと言うかもしれない。
でも、作品として発表した意地やプライドや譲れないこだわりがあるはずなんです。
誰でも。


そこに魅力を感じたことは間違ってない!んです。
作者や作品の中に何かを感じられたってことは、自分のアンテナに引っかかったってことで、それは自信を持っていいと思う。
だけど。

だからと言って安易に「やってみたい〜」となるのは間違ってる!絶対に。


これだけは「絶対に」と言えます。


だって、裏を返せばその作品のいいとこどりをしたい!と言っていることになるんですよ?
悪気がなくたって。

そこまで考えていないのかもしれないけれども。

楽をしたい!
アレをやれば受けるんだからいいじゃない!

そういう意味なんです。
安易な物真似は。
カッコイイ!だけで取り入れると言うのは。


それは侮辱以外のなにものでもない。


外の世界では、そう、芝居や映画や音楽では、必ず名前が公表されますね?
脚本は?監督は?作詞は?作曲は?
だから真似をしても誰の真似なのか、きっとみんなわかります。

でも阿波おどりの場合、振り付けの名前を公表することはありません。
だから、映画だとリメイク、音楽だとカバーと言われているものさえ、本来ならしてはいけないのですよ。

現在の阿波おどりの世界にはどこの連が始めたのか、普通の人にはわからないものが沢山出回っています。

そしてそれはうちの連にも言えます。
誰かが振り付けた作品に勝手に手を加えるのは横取りです。
だったら最初から作り直した方がいい。

出来ないとか言わずに、思い付かないとか言わずに、もっともっと考えて、苦しんで作りましょうよ。
身体壊す位悩みましょうよ。

その時に自分の作品のこだわりが、注ぎ込んだ意地が出て来ます。
そうすれば、他の人の作品に対する敬意が理解できるし、作品を大事にすることの意味ややり方もわかってくると思うんですよ。


魅力を感じたものを、単に真似するんじゃなくて、

何に魅力を感じたのか?
なんで魅力的なんだろう?

って、もっともっと考えて、分析して、咀嚼して飲み込んで、血と肉にしてから、核を使いましょうよ。


作り手のプライドとして。
そして自分の好きな作品に適切な敬意と称賛を表する為に。


楽しいとかカッコイイとか好きだとか、そういう生理的欲求と紙一重の感覚から、その向こう側に行きましょう。
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2009年09月22日

死にたい。

ずいぶん前のことになりますが・・・

下北沢2日目の帰りのことです。
そう、あの、熱い熱い、下北沢。
皆さんの歓声に迎えられて、組踊りが始まった下北沢2日目のことです。

私たちは下北沢まで電車移動でした。
メンバー全員で。
最寄り駅まで集合場所から自転車で移動します。
メンバー全員で。

その帰りのこと。

最寄り駅から駐輪場までちょっと距離があるので、
そこまでみんなで歩いていました。
本番後の興奮の余韻と、疲労困憊の中で。


私の横に小学校6年生の男の子がいました。
他の大多数のメンバーからは少しだけ離れて。

あまりにもクタクタのため、口数も少なく。
駅前のロータリーから、やや暗い路地へ入った辺りで。
その小6の彼が一言。ボソッとつぶやきました。






「死にたい。」





さすがに驚いて聞きました。
「どうして?」
そしたら、またボソッと一言。






「・・・今の気分のまま死にたい。」






そのままこっちを見て、“ニコッ”って。。。





もしかしたら、彼はもうそんなこと忘れているかもしれない。
でも、私の中の一部はあの瞬間のまま。

また次回も、また来年も、より一層。


posted by 創作舞踊集団 寶船 at 13:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 米澤 萌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月25日

塾生へ


志を立てるために

人と異なることを恐れてはならない

死んだ後の業悔を思い煩うな

また目の前の安楽は一時凌ぎと知れ

百年の時は一瞬に過ぎない


 〜 死の一年前の吉田松蔭 〜





10年ほど前にこの言葉を読んだ時の衝撃は凄いものでした。

今では連の運営でも、阿波おどりというものを見たときにも、常に考えてしまいます。

私の中では結局、何でも此処にたどり着くのだと思いました。

夏が終わり色々あって、自分の格を確認してみました。
posted by めぐみ at 10:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 米澤 萌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月26日

時間の経過は必ずしも進歩とは限らない

「明日から仕事を控えた日曜」の深夜に記事を書くのはなかなかシンドイと思いつつ、
どう考えてもこの時間を選んだことによる自業自得感は否めないめぐみです。
前回よりは早い書き上がりで、ホッとしました。
と言っても、今回の方が長いですよ〜!
では、どうぞ。

私たち寶船はよく本番の最中やHPへの書き込み等で、
「独特だ」「斬新だ」と言う様なお言葉を頂きます。
大変、光栄に思っております。
ありがとうございます。

これらのお言葉は、他の連や阿波おどりと一般に呼ばれているもの、
または阿波おどりに対するイメージ
と比較して出てきた感想だと思うのですが、いかがでしょうか?
私たちは、普段「阿波おどりなんか興味無いよ。」と思っている人たちに
「阿波おどりって面白い!!」
と思って欲しいと考え、活動しています。
そして、若い世代を中心にかなりの人たちが持っている

「阿波おどりは格好悪い。」
「阿波おどりは年配のおじさんおばさんがやるもの。」
「単なる馬鹿騒ぎで理性の欠片もない。」

と言う様なマイナスイメージを払拭したいとも、常々思っております。

その方向性から鑑みて、「斬新だ」「独特だ」というのは最高級の褒め言葉と受け取っております。
まあ、時々「異端だ」というお言葉も頂きますが。
私たちが“斬新だ”または“異端だ”と言われるのは、
全員が違う踊りをする。
完全にお客さんを楽しませるためだけのパフォーマンスを行う。
組踊りではフォーメーションだけでなく「振付け」が行われる。
そこ彼処で踊りのみならず、トークが入る。
鳴り物に笛や三味線がないが、大太鼓は古くからのドドンガドンを踏襲している。
しかし締太鼓はスウィング感やノリを最重視した叩き方。
メンバーはほぼ男子高校生・男子中学生(平均在籍年数5年半)で構成されている。
しかも連の幹部も連長と渉外を除き20代前半(しかしキャリアは20年以上。)
地元を持たず、どこの協会などにも参加していない。
などでしょうか?

では、ここで考えてみたいのは

私達 寶船 は、本当に“斬新”または“異端”なのでしょうか?

誤解の無いように書いておきますと、
私たちが“現在の”阿波おどり界において“異端”に映ることは認識しております。
そもそも、前述の通り、普通の阿波おどりと違ったイメージを与えたいと思って
活動しておりますので、まあ、希望通りとも申せましょう。

ただし、私たちの感覚としては“本来の阿波おどり”から見てそんなに“斬新”ではないと、
まだまだ“独創性”が足りないなあと痛感する次第であります。

皆さんは戦後すぐ、そう、
新のんき連を立ち上げた方であり名人の誉れ高い姓億政明さんがまだのんき連にいた頃
の阿波おどりの映像を御覧になったことがありますでしょうか?
またはその前後の徳島阿波踊りの様子を。

「現在の阿波おどりを阿波おどりと言ってもいいものか?」
と不安になるほどの衝撃を感じるはずです。
その音の速さに。そのエネルギーに。その一人一人の隙のなさに。その自由奔放さに。
その、今の阿波おどりからは想像もつかないバリエーションの豊富さに。

私たちは普通の連に比べてなかなか音が速いと思います。
大太鼓を最も古い叩き方、
ドドン ガ ドン
と叩いているのに、あのテンポというのは、
現在では日本一を争えるのではないかと密かに考えている程度には活きがいいといえます。
かつて神楽坂で公演の際のお客様の中に、
徳島県阿波踊り協会所属の連(徳島市内)の方がいらっしゃいまして、声を掛けて頂いたことがありました。
その方が数分一緒に踊ってから
「足がもつれてもう無理!」
と仰っていましたから。

ただし、それはあくまでも現在において。
戦後数年当時のビデオを見る限り、私たちのテンポは総じて普通。
最初はビデオの早回しだと思いました。
しかしお客さんたちの動きを見ると皆さん普通なのです。
つまり、早回しではない。
驚きました。

が!?
個々の踊り手さんの凄さに比べたら、そんなの何でもありません。
まず、第一に画面に映る数十人の踊り手さんが誰一人として同じことはしていません。
それは男性も、女性・・・というか女踊りも。

そして第二に誰を見ても一人の踊り手として全く隙が無い。
ブラウン管越しでも衰えないエネルギーと魅力は、
完成度の高さと細部まで気を使っていることを表しています。

第三に現在では見たことのない動きのバリエーションの豊富さ。
現在あんなことをはじめたら、普通の連なら烈火の如く怒られるはずですよ。
両手を下げて肩だけで踊ったりとかね。
表情を見せる為に動かなかったりなど。

さながら沢山の連が一つの連に凝縮されたよう。

エネルギーと魅力・・・つまり、
目が離せない、離したら損をしそうな気持ちになる力が、
当時の一人の踊り手さんと現在の一つの連が等しいと言われても私は驚きません。
正直に言えば、悲しいかな、それが事実だと思います。

それほどまでに当時の阿波おどりはエネルギッシュで、独創的で、魅力的だったのです。
そう考えれば、他の祭りと違い、全国的に爆発的な人気を得て一気に広がっていったのも納得がいきます。
いくらお鯉さんのレコードが売れたとはいえ、実際の阿波おどりがたいして魅力的ではなかったとしたら、ここまでの広がりを見せることもまた無かったでしょう。

※お鯉さんは5月6日に逝去されました。心よりご冥福をお祈りいたします。

そして、現在の“阿波おどり”と呼ばれている踊りは、魅力はエネルギーは、
当時の踊り手さんに、連に、“阿波おどり”に、
到底敵うものではありません。
しかも、多くの場合、
当時“阿波おどり”として、または“阿波おどり”の魅力や技術として認知されていたものとすれ違う、
下手をすれば対立することに心血が注がれている感は否めません。

たぶんそれが、現在の阿波おどりの本当の姿なのでしょう。
良いとも悪いともいえる事実なのだと思います。

私は現在の“阿波踊り”と呼ばれている踊りを否定しません。
時間の経過が作ってきた真実がその中にあるとも思っています。
ただ!
私は当時の、山火事のように広がっていった炎の様な阿波おどりを、
今の人たちに見せてあげたい。
できることなら私自身が見てみたい。
そう思っています。

その為には、もっともっと独創的に、
一人ひとりがほとばしらんばかりのエネルギーと、
針が折れるほどの緻密さで、
目を合わせたら最後、一瞬の時が永遠に残る、
そんな踊りに向かって精進していかなければ叶いません。
もちろん「一人の踊り手として、その気概を持った人」が集まって
初めて連と呼ぶのです。

吉田松陰も言っています。
「100年の時は一瞬に過ぎない」と。

さて、戦後は約60年。
今から100年後の阿波おどりはいったいどうなっていることでしょう??

めぐみでした。
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2008年04月30日

家名を背負って名を立てよ

はじめまして。
めぐみです。

今回は私の考える連の中での自分の在り方について。

「連」とはもちろん阿波おどりにおけるグループのことです。
では、連に所属するとはどういうことなのでしょうか?

連とはさながら苗字のようなもの。
つまり「家」と言えるでしょう。
家とは即ち、芸の心。
芸の技術的、精神的な筋道であり、知識の流れ。

『今の日本人は「家」という感覚が薄くなった』と言われてはいます。
しかし、普通の家庭でも「家庭の味」「家の仕来り(ルール)」などは当然あるわけで、
それらもまた「家」というグループの底流を現しています。

芸において「家」といえば、やはり歌舞伎や能・狂言などを思い浮かべることでしょう。
わかり易くいえば、血の繋がりを中心として芸を伝承していく集団。
しかし、阿波おどりは血縁関係だけで強化された集団であるとは言いきれません。
血縁を離れた関係での仲間です。
どちらかと言えば落語の世界に近いと言えるでしょう。

落語は師匠から口立てで噺を教わります。
なので同じ噺でも、誰に習ったかで細部が違うのです。
その違いが芸の違いであり、一門の個性となります。
そして(もちろん縁者もいますが)普通の噺家に憧れた人が師匠に弟子入りし、
芸を得たときに家と名をもらいます。

林家、立川、三遊亭、笑福亭など、師匠から受け継ぐ「芸」とその「家」の一員となった証の「名」。

阿波おどりに置き換えれば、「連」(家)に所属することによって
「連」(家)の持つ芸(踊りや鳴り物)と名前(知名度)を受け継ぐことになります。
阿波おどりには名取り制度はありませんから、
たとえ衣装を着ていようと生まれた時からの名前が継続しています。
しかし、連に所属したことで『○○連の○○さん』になるのです。

次に、名前をもらった弟子の義務として、『芸に精進すること』とがあります。

『芸に精進する。』
噺家ならば、芸に深く傾倒し稽古を重ねることで一つ目、二つ目と上がっていき、
真打になり、噺家として広く深く名を立てること。

では、阿波おどりではどうなのでしょうか?
芸に深く傾倒し稽古を重ねることに問題はないでしょう。
しかし、阿波おどりの世界で「名を立てる」と言うのはタブー視されていると言えます。
多くの場合、連(家)の名前を飛び越えて、特定の誰かが台頭してきたことが原因です。

しかし、それは悪いことだったのでしょうか?

『阿波おどりは「祭り」であり、その会場にいる全ての人が演者であり、観客である』
と言う意識が今だ根深く残っています。
しかしながら現在は、関東は当然のこと、本場・徳島でさえ、観客と演者の区切りはハッキリとしています。
言い換えれば「ブラウン管のこちら側と向こう側」のようなもので、
その状態の観客達は「見分けのつくスター」を渇望しています。
観客達はそのスターを求めて会場に足を運び、同列の演者達は技術の向上を求め、稽古に励むのです。

ただ、連を無視していては話になりません。
あくまでも連に所属しその名を背負っているのですから。
阿波おどりの世界における過去の過ちは、連の名前が疎かにされたことに端を発していると言えるでしょう。

個人の知名度が上がることも、その人気により阿波おどり界全ての踊りの方向性が決まってしまうことも、
時代を変えるほどのパワーを持った魅力の前では抑えることはできません。
むしろ、阿波おどり界全体における財産と言えます。

逆に、私たちは連の名前だけで踊っているわけではありません。
連の芸を継承した、連の一端を担う一個の踊り手です。
あくまでも連を背負った一人として、自分の芸に全力を尽くす義務があります。
他に代わりのきかない、自分自身として。

そして、スターが一人である必要はないのです。
お客さんの数だけスターが存在する、または、踊り手の数だけスターが存在する可能性もあるでしょう。
そのために最善の努力をすることが、私たち芸を志す者の勤めではないでしょうか。

家名(連)に恥じない芸を表し、家名と共に自分の名を上げること。
そして、そのために全身全霊をかけること。

それが連に所属し、その一端を担う者として精力的で魅力的だと思われる在り方なのではないでしょうか。

「家名を背負って名を立てよ」
めぐみでした。
posted by めぐみ at 01:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 米澤 萌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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