2012年09月14日

アメトークを見て

数年前、どういう経緯か忘れたが寶船に番組観覧の仕事がよく来ていた。寶船はレスポンスが大きいので、盛り上げるために大げさに笑ったり拍手したりと観客として相応しかったのかもしれない。
当時の連員と一緒に色んな番組の裏側を見た。主にお笑い番組。生で番組が出来ていくところに触れて、芸人さんやテレビ局の真剣な空気を知れた。

収録で見た芸人さんは数知れず、売れる前のフットボールアワーさんなんかもいた。B&Bさんやオール阪神巨人さんや宮川大助花子さんや青空球児好児さんのようなベテランも何人も見た。立川志の輔さんや三遊亭圓楽(当時は楽太郎)さん、三遊亭好楽さんのような落語家さんもたくさん見た。当時は純粋に楽しかったが、今思えばすごく貴重な体験をしたと思う。

昨日のアメトークで、「どうした?!品川」という特集がやっていた。
品川庄司の品川さんが、昔はギラギラしていたのだが今は落ち着いた、どうした?!という趣旨の企画だった。そこで、ギラギラしていた頃の99年にロンドンハーツの前説をしていたということが番組の話題になっていた。
僕は、まさにその品川庄司さんを見ている。ロンドンハーツの収録で、番組の中ではなく、観客を盛り上げる為にだけ登場して、空気をほぐし注意事項を笑いで伝える。まだ品川庄司という名前を世間が誰も認知していなかった時代。すごく印象に残っている。その後、テレビで品川内閣という番組が始まって、あの時の人だ!と、ものすごく嬉しかった。

品川さんのことが嫌いという人は結構多いらしい。毒のある嫌味っぽいトークといつでもチャンスをうかがっている姿勢に賛否があるんだろうと思う。
でも、生で見た品川庄司さんは、本当に全身全霊で笑いを取りにいってる人だった。今よりもっとアナーキーで、笑いの為ならいつでもパンツを脱ぐような下品なまでものハングリーさがあった。
大の大人が皆で真剣にふざけて、それを見て真面目にテレビ局の人達が頭を下げている。その光景は、モノを作る大変さと魅力が詰まっていた。
カメラが止まると同時に芸人にダメだしをするロンドンブーツさん、目に恐いまでもの狂気があり、こんな厳しいんだと思った。違う収録では、逆にカメラが止まってもふざけ続ける爆笑問題さん。カメラが回ってようが止まってようがお構いなし。ふざけないと本気で田中さんをどつく太田さん。形は違うが、どちらも究極の芸人魂を見た気がした。

テレビで見る「ウザいキャラ」「調子に乗ってるキャラ」はすごく真剣に笑いに向き合った結果である。ダイノジの大地さんが、加藤浩次さんに「デブで香水つけてるやつはだいたい腹立つんだよ!」と突っ込まれて、それ以来香水を付けるようになったそう。好感度とかよりも芸人として何をすべきかをまずは考えてるんだと思う。売れてる人達はみんなすごく頑張っている。有名人が嫌なやつばっかりなんて嘘だ。母親が芸能界のマネージャーだったからよくわかる。みんな真剣に闘ってる。

普段の僕らは、テレビを笑って見ながら、面白いか面白くないかを簡単に決めてしまう。でも生で芸人さんの裏側を見れた経験は、自分の視野を広げてくれた。
やっぱり、ただ面白がるより、面白いものを作る側になりたい。
大人が本気で向き合ってる「面白い」には魔法がかかるんだよなぁ。

アメトークのエンディングで、品川庄司さんが髪を坊主にしていた。もちろん企画で決まったことだろうと思う。でも一つの番組の、一つの笑いの為に坊主にする姿勢にめちゃくちゃ感動してしまった。
相方の庄司さんまで坊主にして、髪が薄くなってきたことも笑いにして突っ込まれている。あの姿には、多くの人が胸打たれたのではないだろうか。
前説時代から知っていることもあってか、泣きそうになってしまったアメトークだった。

日々勉強だなと思う。俺も俺なりに闘わなきゃ。

わたる
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2012年08月22日

阿波踊りの可能性 4

渉です。
前回は、演者に必要な3ティー(ポピュラリティー、オリジナリティー、アイデンティティー)のお話でした。

さて、今回から実際に寶船はどんな方法で阿波踊りを考えているのかを書いてみます。
今日はブレインストーミングという思考法のお話です。

昔から寶船の連長はクレイジーな発想を好む人です。「予定調和」を何よりも嫌い、そうなることが予想される場合、わざと混乱やアクシデントを起こしたりします。

子どもの頃から『「今日の公演は上手く行きそうだな」と安易に思ってる時が一番つまらない。アウェーで、もがいてる方がよっぽどいい。』といつも言われてきました。
練習してきたものが、本番で練習通りに出来たら、演者の予想内です。それでは、なんとなく満足しません。
練習と違うものになっても、演者と観客の間に化学反応が起きたら、仮に失敗であっても成功。普通と考え方が逆ですよね。

そんな連長だから、アイデアも極端なものが飛び出します。笑い話をしながら、「いや、それはダメでしょう」という話をしてたら、いつのまにか採用されてたりするのです。

「ブレインストーミング」という考え方をご存知でしょうか。
アレックス・F・オズボーンという方が考案した考え方です。
そのものの常識を出し、それを極端に反転したり誇張したりしながら、新しいアイデアをひらめく思考法です。
このブレストは様々な企業で採用されているといいます。芸能的な例では、あの「シルク・ドゥ・ソレイユ」もブレストで成功した団体だそうです。
シルクドゥソレイユは、結成当時常識だったサーカスのイメージの真逆をやりました。
具体的には「ピエロが登場しない」「チケットが高い」「動物が出てこない」「ストーリーがある」「高所得者がターゲット」などです。
これをブレストで導き出し、大成功を納めました。

これを僕は「白熱教室」というテレビで見ましたが、それよりもずっと前から寶船では同じような考え方を行っています。

野外の夏祭りが阿波踊りの常識である中、連員の反対も押し切ってライブハウスで阿波踊りの自主公演をやりました。和楽器の爆音に激しいパフォーマンスはライブハウスとの相性もよく、数々のバンドをプロに導いた店長からも大絶賛されました。
浴衣で踊るのが常識の中、全員スーツとハットとサングラスで、ブルースブラザーズのように踊ったりもしました。
太鼓や鉦で踊るのが常識である中、前回のワンマンで演出家の陸は、あえて全く違うジャンルの音楽で踊る演目をメインに持ってきたいと言い出しました。

これらは全てブレストの思考法のように、常識の真逆はなんだろう、誇張したらどうなるだろう、どうしたら驚くだろうと考えて導き出したアイデアです (本人達は無意識かもしれませんが)。

さてここで、阿波踊り界のさらなる発展のために、阿波踊りのブレストを一緒に少しやってみましょう。
(これは例としてやるだけなので、阿波踊りとかけ離れた極端なものが飛び出しても怒らないで下さいね!)

まず、阿波踊りの常識をいくつか出してみましょう。
今僕が思い付いた順に箇条書きしてみます。

1 鳴り物で踊る
2 有名連は人数も多い
3 和楽器を使う
4 鳴り物と踊りは担当が区別されている
5 浴衣や法被で踊る

まあ、今とっさに出てきたのはこんなところでしょうか。

ブレストは色々な方法がありますが、今回はわかりやすく、真逆を考える方法でやってみます。
コツは、なるべく固定概念に縛られないように、アイデアを出す時には無秩序にすることらしいです。阿波踊りならば、伝統芸能ということすら、考える時は無秩序にしましょう。なるべく自由に面白がるのです。
では、やってみます。


1 鳴り物で踊る

これは逆にすると、「鳴り物で踊らない」ですね。掛け声だけで踊るのでしょうか。手拍子かな?歌を皆で歌っても面白そう!
「踊り手全員が掛け声を叫びながら、演者と観客が一緒に手拍子をしている。そして大合唱しながら踊る」
どうですか?面白そうでしょう!
(寶船は似たようなことをやってますが…笑)


2 有名連は人数も多い

これは逆なら「有名だけど人数が少ない」ですかね。阿波踊りやってる人なら真っ先に思いつくのは四宮賀代さん率いる「グループ虹」ですね。
数人のユニットで、全員大人気ってカッコいいですよね。テンプテーションズみたいな…例がおかしいですかね。チームナックスみたいな。スマップみたいな。嵐でもいいですよ。まあ、他にもたくさんありますよね!
鳴り物も入れて、バンドのように数人のグループでもいいですね。6人くらいで。鉦1人、締1人、大太鼓1人、踊り3人ってどうでしょう!面白そう!
もう一歩踏み込んで、鳴り物は通常通りたくさんいるんだけど、踊りだけ少ないってのはどうですか?鳴り物50人に踊りが1人とか!もう、マイケル・ジャクソンレベルの演出で!ド迫力の鳴り物にソロ1人!これも面白そう!


3 和楽器を使う

逆にすると「和楽器を使わない」。
寶船もいつかニューオリンズで本場のスイングジャズとコラボしてみたいんですよね。スイングやシャッフルのノリは、阿波踊りとかなり近いと思うんですよ。吾妻光良&スウィンギンバッパーズみたいなバンドがバックにいたら最高なんですけどね!
もっと極端に、ヒップホップで踊るってのはどうでしょうか。新境地ですね!どうなるんだろう!ハードロックでもいいですね!ツェッペリンが生演奏でバックバンドしてる阿波踊り。すげえ!
あと、本当に寶船でやろうと話してたんですが、和楽器じゃなくてバケツやタライやドラム缶を叩いて踊るって面白そうじゃないですか?ブロードウェイミュージカルで「ストンプ」ってのがありますよね。それの阿波踊りバージョンです。上手かったら相当カッコいいと思います!


4 鳴り物と踊りは担当が区別されている

寶船は、基本的に鳴り物の人も踊るってのがルールなんですが、これも他の連には意外とないですよね。個人的には、両方やってる方が絶対カッコいいと思うんです。今締太鼓叩いてた人が、太鼓置いて踊り出した!って、観客から見たらアガると思うんですよ。
ステージなら、舞台上に大太鼓を置いて、踊りながら叩くってのもやりたいです。
和太鼓集団でやっている方もいらっしゃいますが、阿波踊りでは見たことないですね。阿呆連さんの阿呆囃子は、踊ってはいないですもんね。踊っても絶対格好いいと思います。
そういえば、エイサーは手で太鼓叩きながら踊りますね。ああいう方法もありだと思います!
まだまだ色々アイデア出そうです。


5 浴衣や法被で踊る

スーツはすでに寶船がやりましたね!かなり人気でした。今年の春に下北沢天狗祭りに出演した時も、連長の指示でスーツにハットで踊ったんですが、すごく反応が良かったです。
ダンスチームのコンドルズさんみたいに、学ランで踊ってもカッコいいですね!
あと、和太鼓の鼓童さんのように、上半身裸で踊るのも面白そうですね。下はふんどしでもいいですね。僕はひょろいのでマッチ棒みたいになりますが、ガタイのいい人ならカッコいいと思います。
実は前回の寶船のワンマンでは、「男のストーリー」という上半身裸で踊った演目がありました。それは笑い方向だったので、あえて細い僕も出ました。細すぎてかなり笑いが取れました。そういうやり方もありですね。
あと、昔のデビット・ボウイみたいな奇抜な衣装も憧れます。一流のデザイナーさんならどんな衣装をデザインするのか見てみたいですね。寶船がもう少し有名になったら、本気で山本寛斎さんにデザインを頼みに行こうと思ってます。


さて、今回は例ということで簡単に考えてみましたが、それでも面白そうなアイデアがたくさん出ました。
これを組み合わせたり、誇張したりしてもっと実用的な形に変えていくのです。
ブレインストーミングについては様々な書籍があり、ネットでもたくさん解説がありますので、興味があったら調べてみてください!
「オズボーンのチェックリスト」と検索しても色々出てきます。

このブレインストーミングをぜひ参考にして、もっともっと色々な面白い阿波踊りが登場してくれればいいなと思っています。
阿波踊りの可能性は、無限にあります。
一緒に頑張りましょうね!


わたる






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2012年08月21日

阿波踊りの可能性 3

渉です。
下北沢阿波踊りが無事終わりました。
応援してくれた皆さん、ありがとうございました。あの空間は、一緒に作り上げた奇跡だと思います。

さて、今日も引き続き阿波踊りの可能性について書きます。
前回は、世阿弥の感動を与える芸の心得「新しきこと、珍しきこと、面白きこと」について触れました。

今日もそれに近いお話ですが、今回は芸の内容というより僕ら自身、アーティストとしての心得を考えたいと思います。

僕は、音楽をやっていた時にレコード会社の人から、素晴らしいアーティストの条件として「3ティー」を持つことが大事だと教えられました。
3ティーとは、「ポピュラリティー、オリジナリティー、アイデンティティー」のことです。
これは、どんな芸能でも当てはまる重要な要素ですよね。素人の私たちにも実にわかりやすく演者の大切な要素を押さえていると思ったので、それ以来寶船でも口酸っぱく3ティーの話をするようになりました。

まず、「ポピュラリティー」。
つまり大衆性でしょうか。
簡単に言えば、第三者の人々が見たときに心を掴める芸であるかということですね。
これがなければ芸能として、ましてやエンターテイメントとして評価されないということになります。もちろん芸風によってどの位の共感を与え、どの程度の評価を求めるのかには差がありますが、全くポピュラリティーがないということは誰からも相手にされないということで、それこそ芸自体に何らかの問題があるのではないでしょうか。
よく「ゴッホは生前、一枚も絵が売れなかった」と言う人もいますが、時代やタイミングの違いで残念ながら生前は評価されなかったのであって、死後の評価のされ方を見るとポピュラリティーの塊ということがわかります。

しかし、芸能とは興味深いことに、ポピュラリティーを得ることが目的であっても、大衆を掴めるわけではありません。大衆性は現代ではどうしても、ビジネスとしての成功や、単に人気になればいいという安易な印象を感じる場合もあるからです。そこにアーティストとしての信念を感じられる上で、高い大衆性を放つものが本当に極上のポピュラリティーといえます。
また、100人いたら100人とも「よかった」と言うものが高いポピュラリティーを持つかというと、それも全く違います。なぜかというと、本当のポピュラリティーとは、必ずパラダイムシフト(固定概念の変革)を与えるからです。大衆の多くが「いい」というものは、その時代の中で「いいとされているもの」で、そこに衝撃はあまりありません。人は作品に共感を求めますが、本当に本能として求めているのは共感ではなく驚異なのです。ビートルズしかり、ジミヘンしかり、最近ではレディ・ガガなどもまさしくパラダイムシフトですよね。岡本太郎は、「なんだこれは!」というものが人を惹きつけると言っていました。これもポピュラリティーの本質を的確に言い当てていると思います。

次に「オリジナリティー」。
これは、独自性ですね。
自分を表現することとも言えます。
どんな芸能でも、初めたばかりの頃は、さも「いい音楽」や「いい芸」というものが存在していて、それを真似すればいい芸能に近付いていると思いがちです。しかし、すでに成功している人の表面を真似すればするほど、「あれ?俺はあの人にはなれないや」と気が付くものです。そして、やっと自分の表現ってなんだろうと考えはじめます (僕もそうでした)。
スタイルとして「いい芸」というものが存在するわけではありません。演者の人間性や個性が垣間見れるものが「いい芸」と呼ばれているにすぎないのです。
前回の「珍しきもの」でも触れたように、人は同じようなものが並んでいても手に取ろうとは思いません。そこで重要なのが「自分らしさ」です。大前提として、人間は一人ひとり皆違います。自分の強みは何かを明確にし、そこを押し出していくことが大事なのです。
長所は短所のすぐ近くにあるといいます。コンプレックスが最大の武器になるともいわれます。自分の持つ魅力を広げていき、貫いた時、他の誰にも出来ない唯一無二の芸能が確立するのです。
つまり、芸能におけるオリジナリティーとは、「俺はこういう人間だ!」ということを突き詰めることなのかもしれません。そしてクリエイティブの本質は、この自分の人間性をぶつけていくことだろうと思います。

このポピュラリティーとオリジナリティーのバランスは、どちらか一つに偏っても成り立たないものです。ポピュラリティーも突き詰めればオリジナリティーの問題にぶつかり、逆もまたしかりです。

そして最後に「アイデンティティー」。
自己同一性とも言います。
簡単に言えば、そこに自分の存在意義があるかですね。
ポピュラリティーとオリジナリティーを模索し自分の芸に評価が出てくると、最終的に、社会における自分の表現の価値などを考えるようになると思います。
芸能としてのオリジナリティーではなく、もっとその根本の存在意義、他者の中で自分の価値はどこにあるのだろうかという問いですね。
「何の為にやっているのか」。
この模索がアイデンティティーの確立へのモラトリアムではないでしょうか。
人間は一人では生きられず、互いに影響し合って存在しています。その他者に出会う中で「自分は誰か」を確かめ、その後自分の出来るベストな役割を見つけていくのです。
ですから、「今自分がこの芸をやる意味はなんだろう」と、演者は常に考える必要があるのです。
アイデンティティーがぶれないアーティストは、仮に芸のジャンルを変えて表現内容を全く違うものにしても、「あ、確かにこの人らしいな」と思えるものです。作品の方向性を毎回180度変えても、長いキャリアを全て見てみると、「なるほど、最初から同じことを続けてたんだ」と思えるアーティストもいますよね。それがアイデンティティーだと思います。
社会の中で、なぜこの表現をしてるかがぶれない。それが優れたアーティストに必要なのでしょう。

以上、僕なりに演者に必要な要素、3ティー(ポピュラリティー、オリジナリティー、アイデンティティー)について考えてみました。
3ティーと向き合い、より素晴らしい阿波踊りを模索して行きましょうね、!


わたる






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2012年08月18日

阿波踊りの可能性 2

渉です。
本日は下北沢の阿波踊りでした。
見てくれた皆さん、ありがとうございます!

今日は前回に続き、阿波踊りの可能性について考えてみます。

さて、前回の書いたように、「人々が心から熱狂できる芸能を探求し続けたい」と思ったとき、どのような考え方を指標に置けばいいのかを今日は書いてみます。
芸の指標を誤ると、例えば目的が「ウケればいい」という考え方にもいきかねません。エスカレートすると、「モテればいい」と考える人も出てくるかもしれません。
しかし、その要素はどちらも結果であって、目的ではないのです。目先の結果を求めると、それこそ軸がぶれていきます。

芸能や芸術に携わる人がまず指標として持っているのは、感動を与えるということではないでしょうか。どんな感動なのかはそれぞれあるでしょうが、見る人の心を掴みたいと誰もが思っているはずです。
しかし、人を感動させることは数学的に答えがあるものではありません。ですから、モヤモヤのまま思い付きや何となくでいる人も多いことでしょう。
感動に答えはないにしろ、少しでもクリエイティブの指標をロジカルに考えられないかと思い、ここでまた世阿弥さんの言葉を引用します。
世阿弥は、芸で人を感動させる心得を「新しきこと、珍しきこと、面白きこと」と言っています。

まず重要なのは、「新しきこと」と「珍しきこと」は違うということです。
よく芸能や芸術は、時代を読む力が大切であると言われます。
過去からどんな経緯で今になっているのかを考え、一歩先の未来を提示することが必要なのです。
その際に、この二つの認識が非常に大切になります。
では、僕なりに、どう違うかを考えてみます。

「新しきこと」とは、時代性です。
過去にないもの。これが「新しきこと」です。
例えば、ジミ・ヘンドリックスのような音楽を今同じようにやっても、
「それ、何十年も前にジミヘンがやってるじゃん」となり、彼が登場した時代の衝撃はありません。
簡単に言えば、「二番煎じはつまらない」ということです。
仮に二番煎じでどんなに素晴らしいものを作っても、一番最初に生み出した人ほど評価されません。
それほど「新しきもの」には価値があるのです。
しかし、新しいものが突然生み出されることはまずありえません。
何かと何かが融合したり、誇張したり、視点を変えたりと、新しいものは時代の中で様々なものが化学反応を起こしながら生まれていくのです。


では、「珍しきこと」とはなんでしょうか。
わかりやすくいうと、差別化です。
今の自分の周りにはどんなものがあるのか、その中で目を引くにはどうすればいいのかが差別化ですね。
同じようなものが並んでいると人は手に取ろうと思いません。
マーケティングの考え方にも近いですね。
森の中に木を植えても、誰も気がつかないのです。
注目されるには、注目される理由があります。
優れた芸はヒットする商品と同じく、必ず差別化に成功しているのです。
独自性や強みを押し出し目にとまることが、芸を認識してもらう前提であると思います。


そして最後に、「面白きこと」。
この「面白きこと」がまた難しい。
好みは人それぞれあるからです。
しかしここで注目したいのは、決して「楽しきこと」ではないという点です。
面白いという言葉には、楽しさだけでなく喜怒哀楽の全てが詰まっています。
例えば、ものすごく悲しい映画も、ものすごく怖いホラー映画も「面白い」と思うことってありますよね。
つまり面白いという言葉は、様々な感情の奥にある、人間の欲求を満たす「何か」であると思います。
笑顔や拍手喝采がある芸はもちろん「面白きこと」です。
けれども、驚異を感じ引きつった顔や、息を呑んでいる静けさがある芸も、「面白きこと」なのです。
何が面白いのかについては思想的な話になり長くなるので割愛しますが、演者である僕らは、常に「面白きこと」の探求が必要不可欠であることは間違いないでしょう。


過去にない「新しきこと」を考えること。
今の社会を読み「珍しきこと」を考えること。
そして人間の深層心理にある「面白きこと」を探求すること。
これらが合わさって、新鮮で時代の一歩先を行く芸が見えてくるのだろうと思います。
根っからの目立ちたがり屋で人の目を引く感覚が長けていたり、生まれながらの天才肌で観客を沸かせるコツを無意識に心得ている人もいます。
しかし初心者や僕のような未熟者は、頭の片隅にこの「新しきこと、珍しきこと、面白きこと」を置いておき、少しロジカルに芸を考えてみるのがいいのではないでしょうか。
まぐれは何度も続きません。
偉大な名人や芸術家が素晴らしい作品を生み出し続けられるのは、理論的にも確固たる哲学を持っているからなのです。


わたる


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2012年08月16日

阿波踊りの可能性 1

お久しぶりです。渉です。
阿波踊りシーズンもクライマックス。
寶船は本場徳島から帰ってきました。

さて今日は阿波踊りの可能性について考えてみます。
最近、芸能と日本の文化を考えるとき、世阿弥の言葉を思い出します。
歌舞伎と阿波踊りは、歴史をさかのぼると起源は同じであると以前書きました
もっと言えば、能も落語も文楽も漫才も、根本は同じなのだろうと思います。
つまり、どの要素を強く押し出し歴史を積み重ねたかの違いで、全く異なる芸能に発展するのです。
その日本文化の根本を、わかりやすく、現在でも通用する言葉で説いたのが世阿弥でした。
世阿弥についてはもっともっと詳しい方々がいると思うので割愛しますが、とにかく日本の芸能を学ぶと必ず通る人物です。その言葉の普遍性は素晴らしく、様々なジャンルの尊敬する先人達を見てみると、驚くほど世阿弥の言葉に当てはまっているのです。
そのため、阿波踊りの未来を考える指標として、世阿弥の言葉を借りて考えてみます。

世阿弥の言葉で、「住(じゅう)する所(ところ)なきを、まず花と知るべし」という言葉があります。
同じ場所で留まるのではなく、常に変化し続けることが芸の本質である、という意味です。
この言葉は、今の僕のスローガンでもあります。
日本文化や伝統というと、先人たちの「型」を受け継ぐことが大事であると考えがちです。
僕自身もそうでした。しかし、いわば伝統の元祖である世阿弥が真逆のことを言っているのです。
文化や芸能こそ、変化し続けなければならない。変化をためらい、「型」だけをコピーする芸は死んだと同じということを説いています。

阿波踊りをかじると、やたらと「正調」という言葉を使う人がいます。
しかし、本当に知識や歴史を知る人は、「正調」なんてものはないことを知っています。
阿波踊りは芸体を様々に変化させていることは、ウィキペディアにすら書いてあるのです。
現在の阿波踊りの芸体は、戦後に少しづつ確立されたもので、その型だけを正調と呼ぶのは、400年以上の歴史の中では表面だけをなぞるようなものです。
ここで誤解のないように改めて言いますが、僕ら寶船は、徳島の阿波踊りを心底尊敬しています。
毎年徳島に行くと、その凄さや雰囲気に圧倒されます。
今でも徳島の連を見る時には、子供の頃に戻ったように心が踊り目が輝いている自分がいます。

本場の演者の皆さんや偉大な先人の皆さんを心からリスペクトしているからこそ、誠実に次の時代にバトンを渡したいという気持ちが湧いてくるのです。

現在の阿波踊り界のトップの連長さんたちは、三大主流を確立させた世代です。
その以前には、娯茶平さんの網打ちも、阿呆連さんの武士の踊りも、天水連さんの奴踊りもありませんでした。
もちろん、女踊りの形も全く違いました。傘の被り方すら違います。
そして興味深いのは、三大主流や今の「型」がない以前には、全く別の「正調」と呼ばれた「型」があったということです。
それに様々なアイディアを取り入れ発展させ、試行錯誤しながら今の「型」として定着させたのです。
まさしく「住する所なきを、まず花と知るべし」だと思います。素晴らしいです。
一世を風靡し阿波踊り界のトップに立った方々は、必ず「新しいこと」を取り入れているのです。

色々な方の話を聞きましたが、新しいことに挑戦するときには必ず批判があるそうです。
「こんなの阿波踊りじゃない」「正調を守れ」「伝統をなんだと思ってるんだ」という声は、古今東西いつでもあるようです。
それでも、観客を楽しませたい、驚かせたい、もっともっと面白いことをやろうという、純粋で前向きな挑戦が固定概念を壊し、新たな「型」を作るのです。

さて、その息子や孫にあたる僕らのすべきことはなんでしょうか。
どのように阿波踊りの可能性を提示し、次の世代にバトンを渡せばいいのでしょうか。

僕らの上の世代の皆さんが確立された「型」をコピーしペーストし続けることでしょうか。
それともその「型」をリスペクトした上で、更なる発展のために新しい挑戦と試行錯誤を繰り返し、生きた芸能を受け継ぐことでしょうか。

住する所なきを、まず花と知るべし。
完全に後者だと僕は思っています。

伝統をリスペクトし、今の時代の人々が心から熱狂できる芸能を探求し続ける、それが阿波踊りの精神です。
そしてそれは、文化や芸能全てに当てはまる普遍的な精神だと思います。


わたる
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2012年05月24日

安らかなる選択、終了!

わたるです。

「安らかなる選択」が、無事に満員御礼で終わることが出来ました。来てくれた皆さん、応援してくれた皆さん、本当にありがとう。色々な方が素晴らしい感想をくれて、連員一同嬉しく思ってます。


終わったあと演出の陸と話したが、今回は「阿波踊り」を意図的に距離を置いた作品にしたため「こんなの阿波踊りじゃない!」という意見がもっと聞かれるかと思った。
意外にもあまりなかったけれども。

寶船のやろうとしているパフォーマンスは、踊りと芝居と歌が混ざり合っていて、笑いや感動もある総合エンターテイメントである。

なぜ阿波踊りをやってる僕らが歌や芝居までを取り入れてきたのかと言うと、実はしっかりした理由がある。
寶船はワンマンを始めた時から、意図的にこの形を作ってきた。

というのは、阿波踊りの原点は「歌舞伎」と同じで、「傾く(かぶく)」ということから始まった。

「歌舞伎」は文字通り、「歌」と「舞(踊り)」と「演技(芝居)」であって、日本のミュージカルと言っていい。
阿波踊りも、江戸時代は「にわか」という芝居や「組踊り」という派手な舞、そして「よしこの節」という当時の流行歌によって成り立っていた。幕府の弾圧や戦後に衰退した経緯がなければ、阿波踊りはもしかしたら現代でも、芝居と踊りと歌のエンターテイメントだったかもしれない。

僕らがやりたいのは、当時の人々がタイムリーに熱狂した阿波踊りと同じ感覚で、タイムリーな阿波踊りにアップデートすることである。古典をリスペクトした上で、今の僕らは「今」を作り出す。そんな挑戦なのだ。

そんなこともあってか、日本における「阿波踊り」という先入観と戦っていると言ってもいい。歴史的に見ればWikipediaにすら書いてあるが、そこまで深く追求する人はそういない。
だからこそ、本当の阿波踊りはどちらか、寶船が先陣を切って証明したいと思っている。
阿波踊りのレジェンドである名人、四宮生重郎さんがレディ・ガガやマイケル・ジャクソンで踊っているのを見て、僕はとても感動した。これこそ阿波踊りの心。
なぜ80歳ほどの名人がこんなに現代にアップデートしたパフォーマンスをしているのに、他の連は誰もやらないんだろう。古典という先入観にとらわれて、本当の歴史を遡ることもなく、「阿波踊りっぽいもの」をやっているだけ。それでは廃れてもしょうがない。

寶船の連長の米澤曜も徳島出身だが、昔見た阿波踊りはもっと本当に自由だったという。一人ひとり個性的で、その迫力は怖い程だったという。

寶船が今回、阿波踊りとあえて距離をとった理由はここにあって、「阿波踊りっぽいもの」を失くして「阿波踊りをやる」という意図があった。

「安らかなる選択」は、そんな寶船の道筋が垣間見れた作品になった。喜んでくれた皆さんがいて、本当に良かった。

これからも、皆さんの予想を裏切り、期待に応え続ける集団でありたい。

頑張ります。


わたる





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2012年05月18日

最近見た映画の感想A

わたるです。
映画の感想の続きです。


「エレファント」
2003年、ガス・バン・サント監督

1999年に米国のコロンバイン高校で起きた銃乱射事件を基に作られた作品。
独特の、時間軸を複雑に入れ替えた手法でまとめてあり、映画としてすごく斬新。
通常の映画よりもワンシーンが長く、中盤まではどこにでもある高校の日常を垣間見ているような気分になる。
日本にもいるであろう様々な学生達が廊下で交わりながら時間は紡がれる。すると"あの事件"。実にあっけなくそれは起こる。
呑気な自分がそこにいればいるほど、そこに何も感じなかった自分も同罪のような気分がしてくる。さらっと、しかし深い衝撃が身体を走る。
僕は正直、最初この映画がよくわからなかった。ハリウッド映画に代表されるような、シーンごとに物語が展開していく作品ではなく、なおかつわかりにくい。間伸びすら感じた。でも、胸の奥で何かが引っかかる。次の日にも余韻が残っていた。
翌日もう一度見直し、特典のガス・バン・サントの話を聞く。この映画は通常ならカットする無駄なシーンをたくさん入れたという。脚本もなくあったのは流れだけで、登場人物の学生も俳優を使わず高校生をオーディションで選び、アドリブで喋らせシーンを繋いだそうだ。
なるほど!僕が感じた「エレファント」は、意図的に作られた静かな闘争だったのだ。
収められたリアルタイムの若者は虚無感に溢れていて、すごく息が詰まる。異常に見える物事も、必ず日常の上にある。
以前、秋葉原の無差別殺人事件の時、テレビのコメンテーターが犯人をモンスターに例え、「異常なモンスターの心境なんて考えたって無駄」と言っていた。犯人に同情してはいないのに、なぜかすごく悲しかった。
秋葉原でもコロンバイン高校でも、そこにいるのは僕らと同じ生き物で、突然変異でモンスターが現れたはずがない。「エレファント」は、そんな僕の引っかかりを受け止め、突き付けてくれた。
映画のキャッチコピーは、
「キスも知らない17歳が、銃の撃ち方は知っている」
最高なコピー。キスの経験がないことを告白し、事件直前に男同士でキスをするシーン、すごく印象的。
この映画は特定の人に感情移入がしにくい作りになっている。見る側は俯瞰で若者を見る。そこにこの映画のマジックがある。本編は80分程度。このあっけなさも見事。

タイトルのエレファントは複数の意味が込められているが、「Elephant in the room」という慣用句からきているそうだ。象の置物が部屋にあるという意味で、「異常なものが日常にあっても誰も見向きもしない」というような意味だそう。

ガス・バン・サントは、「グッド・ウィル・ハンティング」も好き。見たのがかなり前だからまた見たいなぁ。「ミルク」もすごく良かった。
中学生の時にリバー・フェニックスがものすごく好きだったから「マイ・プライベート・アイダホ」を見たけど同性愛の内容が当時はよくわからなかった。今見たらわかるかなー。
話は脱線するが、その頃はリバー・フェニックスが好き過ぎて、男なのに写真集を買ったほど。今思えば変な中学生。センチメンタルなたたずまいや早過ぎる死という儚さが当時の自分にフィットしたのだろうか。尾崎豊やジェームズ・ディーン、ジミヘンやジャニスなどのロックスターも同じように、いつの時代も思春期はセンチメンタルな早死にのスターを追いかける傾向がある。



長くなっちゃったので次の映画の感想はまた書きます。


わたる


今週末のワンマン、よろしくお願いします。

――――――――――――――――――――――

■公演名
創作舞踊集団 寶船
2012年 春公演「安らかなる選択」

■日時
・2012/05/19(土)夜の部
開場/開演 18:30 / 19:00

・2012/05/20(日)昼の部
開場/開演 11:30 / 12:00

■料金
2,000円(1drinkサービス付)

■会場
SARAVAH(サラヴァ)東京 
〒150-0046 東京都渋谷区松濤1-29-1 渋谷クロスロードビル B1

■お問い合わせ■
ご質問などありましたら、気軽にお問い合わせください。

創作舞踊集団 寶船(たからぶね)
http://takarabune.org/
Mail:info@takarabune.org


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2012年05月15日

最近見た映画の感想@

わたるです。
今週末はついにワンマン。寶船の新境地をぜひ見に来て下さい。

今日は最近見た映画の話をしたいと思います。

最近は、次回の公演の台本を考えなきゃいけないので、インスピレーションを湧かすためにも映画をよく見てます。
TSUTAYAが100円になったのも理由のひとつ。名作や話題作が100円で見れるなんて、すごい時代ですよね。好奇心さえあれば、美意識を豊かにするチャンスがたくさんあるのはいいことだと思います。


「SRサイタマノラッパー」
2009年、入江悠監督

日本のインディーズ映画では稀に見るスマッシュヒットで噂になった作品。埼玉の田舎町を舞台に、冴えない田舎者ラッパーの葛藤を描く。
現在この作品の3が公開中らしく、前から気になっていたので見た。
ヒップホップという題材を、ダサくてイタいという視点で描き、格好良さではないラップミュージックの本質が垣間見れる。主人公イックとトムのもどかしさは若者なら誰にでもあり、それを上手く「かっこ悪さ」として描いたことが最高。
長回しという手法は下手に使うと間伸びしダレるが、この作品におけるラストシーンの長回しは緊張感と実在感を見事に収めている。
生々しく痛々しいほどのどうしようもなさ、かっこ悪さ、それでもぶざまに希望にすがりつくイックとトムに涙する。
感動的な音楽もなし、演技も未熟、低予算で編集も荒い。しかしその切り口で見事に勝利した傑作。
格好良さや可愛さだけを基準に未来を求める若者にこそ見てもらいたい。


「レスラー」
2008年、ダーレン・アロノフスキー監督

栄光時代の全盛期を過ぎ、歳をとったプロレスラーの不器用な生き方を描いた作品。
主人公ランディを演じたミッキー・ロークの圧倒的なリアリティが凄まじい。この不器用で孤独になりながらもレスラーという道を選択する姿に、感情移入しないではいられない。
人間誰でも満れば欠ける。人は必ず歳をとる。その時、人生の着地をどのように迎えるか、誰しもそんなことを考えるだろう。
ランディの、背中で語る演技(文字通り、背中からのショットが多い)に、人間の儚さをみる。悲しいのではない。儚い。レスラーという、勝敗すらも決まっている業界で不器用にもがくランディは、どんな男の心にも必ずいる存在だと思う。
ダーレン・アロノフスキー監督は、「ブラック・スワン」もすごく良かった。しかし特殊な映像で心理描写を図ったブラック・スワンに対し、レスラーは直球勝負。ディテールと繊細な描写のみで見事にランディを収めている。僕としては、レスラーのミッキー・ロークの方が感情移入が強かった。震える作品。


「戦争のはらわた」
1977年、サム・ペキンパー監督

第二次世界大戦を舞台に、ドイツ軍のシュタイナーと部下たちの戦いを描く。
原題の直訳は「鉄十字勲章」。勲章に執着する上司のシュトランスキーと、主人公シュタイナーが対比的に描かれており、単なる反戦映画ではない。戦争をテーマにすると、題材からしてお涙頂戴的な映画になりやすいが、サム・ペキンパーは今でも斬新な描写で見事に傑作に仕上げた。
童謡「ちょうちょ」の明るい歌に乗せて、CGのない時代に今見ても驚くほど凄まじい迫力のアクションシーンが続く。スローモーションとリアリティのある描写、見事な編集で現代でも通用するほどの戦闘シーンになっている。
主演のシュタイナーを演じたジェームズ・コバーンのかっこいいこと!渋い!目力がすごい。
特に僕は、シュタイナーが病院に送られた際の、恐怖で幻覚が見えてしまうシーンが印象に残った。そしてラストのシュタイナーの行動。胸が熱くなった。
サム・ペキンパーはバイオレンス映画の巨匠と言われているが、「ビリー・ザ・キッド」や「ゲッタウェイ」など以外は知らなかったので、なるほどと思った。すごい監督だと思う。

バイオレンスという言葉に悪い印象を持つ人が多いが、「痛み」を描くということはすごく大切なことである。
銃をバンバン撃ったり、人が死ぬくせに「痛み」の伴わない作品は真の優しさに掛けている。スコセッシ、イーストウッド、フランク・ダラボン、スピルバーグ、ケン・ローチ、デビッド・フィンチャー、上記のダーレン・アロノフスキーも、北野武も黒澤明も、みんな「痛み」を描く天才。そしてサム・ペキンパーも。名作には痛みが伴うのだと思う。


映画の感想、思いのほか長くなるので、次回に続く。


わたるでした!



今週末のワンマン、よろしくお願いします。

――――――――――――――――――――――

■公演名
創作舞踊集団 寶船
2012年 春公演「安らかなる選択」

■日時
・2012/05/19(土)夜の部
開場/開演 18:30 / 19:00

・2012/05/20(日)昼の部
開場/開演 11:30 / 12:00

■料金
2,000円(1drinkサービス付)

■会場
SARAVAH(サラヴァ)東京 
〒150-0046 東京都渋谷区松濤1-29-1 渋谷クロスロードビル B1

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ご質問などありましたら、気軽にお問い合わせください。

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2012年05月09日

楽しさへの反感

わたるです。

春公演「安らかなる選択」が近付いて来ている。
僕らは2009年に初のライブハウスでのワンマンを開催したが、寶船がワンマンライブを始めたのは実はかなり昔。僕がまだ小学校の時だったと思う。
きっかけは友達に自分のやっている阿波踊りを知ってもらって仲間を増やしたいという「公開稽古」が最初だった。
とはいえ、稽古をただ見せても面白くないだろう、ちゃんと衣装を着て踊ろう、と決めた。場所は小学校の体育館。まだ友達を呼ぶのがすごく恥ずかしかった。
何回かそんな公開稽古をやってから、中学生の時に「阿波芝居」というタイトルの自主公演を開催した。これも場所は体育館だったが、両親が演劇で学校公演をやっていた経験もあり、本格的な舞台を組んで行った。
立て看板を自分達で作り、町のあらゆる所に置いて人を集め、お客さんは百人を越えたと思う。

今では本格的に「ワンマン公演」と打ち出し、場所がライブハウスになった。次回からは規模を大きくし、本格的な劇場になる。

自主公演というのは、集客も資金も大変だし、膨大な時間をメンバー皆が空けなければいけない。「楽しいからやっている」とは簡単には言えないほど毎日大変。

なんでこんなことやってきたのかなぁと考えた。

僕は不安だったんだと思う。
東京で阿波踊りなんて馬鹿にされる対象だったし、自分をさらけ出せるほど成功もしていない。だからやれたんだと思う。これがもし、もっと近くに「楽しさ」があったら、とっくにやらなくなっていた。

だって、周りには山ほど楽しそうに見えたものがあったから。
友達と会うのも楽しい。騒ぐのも楽しい。恋するのも学校の放課後に雑談するのも楽しい。
寶船の「楽しさ」が近くにあったら、同じような近くにある楽しさと同じように、手に取ってブームが過ぎたら飽きたはずだ。

普通、嫌だったら辞めると考えがちだが、逆。男として問屋が卸さない。本当の面白さを掴んで評価もされてないのに逃げたくない。

寶船はそう簡単には「楽しく」なかった。楽しいまでいくには何年もかかるだろうし、不安ばっかり。毎回怒られてばっかり。議論してばっかり。近くに楽しさがなくて本当に良かった。毎回不安で本当に良かった。

僕は「楽しい」ことへの反感がいつもある。「楽しいこと」はエゴに似ている。自分を満たしたい時に「楽しさ」を求める傾向が強い。
でも、積み上げていく面白さには関係性の中で化学反応が起きたプロセスがある。お客さんやメンバーのことを考え、ベストを尽くすプロセスがある。それは満たす為のエゴよりずっといい。

自分のやりたいことは別にたくさんあったし、寶船以外の人生を選びたいとも思った。
でも、阿波踊りを通して気付いた弱みやコンプレックスは、唯一、寶船で壊すことができる。

物語の着地は、自分自身との決着である。問屋が卸すまでいくぜ。

今の気持ちを満たす為の楽しさではなく、積み上げていく面白さを「楽しさ」と呼ぼうよな。

わたる

――――――――――――――――――――――

もうすぐ、私たちの全身全霊をかけたワンマン公演が開催されます!

今回も阿波踊りの枠を越えた、寶船のステージでしか見られないエンターテイメントをお送りします!
5/19と5/20の二日間、どちらでも結構です。
ご期待に応えられるような感動をお届けいたします。
ぜひとも足をお運びください。
よろしくお願いします。

――――――――――――――――――――――

■公演名
創作舞踊集団 寶船
2012年 春公演「安らかなる選択」

■日時
・2012/05/19(土)夜の部
開場/開演 18:30 / 19:00

・2012/05/20(日)昼の部
開場/開演 11:30 / 12:00

■料金
2,000円(1drinkサービス付)

■会場
SARAVAH(サラヴァ)東京 
〒150-0046 東京都渋谷区松濤1-29-1 渋谷クロスロードビル B1

■お問い合わせ■
ご質問などありましたら、気軽にお問い合わせください。

創作舞踊集団 寶船(たからぶね)
http://takarabune.org/
Mail:info@takarabune.org

image-20120509103621.png
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2012年05月02日

なんとなくではダメなんだよね

わたるです!

9月の舞台の演出をやらせてもらえそうなので、最近台本を書き始めた。どんな内容にしようか考えている。

演出論やシナリオ・脚本術など、様々な本で勉強したのだが、やっぱりどこにでも書いてあるのが、セオリーよりも何が伝えたいかということの方が重要ということ。

クリエイティブの世界では当たり前中の当たり前だと思うが、実践できている人は意外にも少ないんじゃないかな。
伝えたいことというのは説教くさくなるのも嫌だし、簡単に言語化できるものも厚みがなくてなんかなぁと思う。でも、それはやりたいことや伝えたいことがないのとは全く違うのだ。

僕らは踊りを基本にした団体なのだけれど、例えば「阿波踊り」をしている人でどれくらいの人が表現したいことを考えているだろうか。
ステージの使い方や演出が、ただ単に「なんとなく」で決めている人が多いんじゃないんだろうか。

演劇や映画の世界では当たり前のことが、阿波踊りの世界では当たり前ではない。それは問題だと思うんだ。

表現者は、観客の心を揺さぶることに必死になる。それが生き甲斐。観客の予想を裏切り、期待に応える。それが芸能の魅力なんだと僕は思ってる。

寶船のいいところは、テーマを共有することに一番の時間を割くところ。「今回はこのテーマでいく」ということを決めて、どうしたら伝わるかを考える。
「いつも通りにいい踊りをすれば、はいおしまい」ということにはならない。

好きな脚本家や監督や演出家はたくさんいるが、みんな「伝えたいことを伝えること」のプロフェッショナル。
僕もそうなりたい。
そして、阿波踊りの世界もそうなって欲しい。


というわけで、
創作舞踊集団 寶船の新しい舞台!ぜひいらして下さい!
次回から劇場になるので、ライブハウスでの公演はしばらくないかもしれません!
オススメ!

2012春公演
『安らかなる選択』
5/19(土)開場18:30/開演19:00
5/20(日)開場11:30/開演12:00
会場:SARAVAH東京
チケット2000円
http://t.co/puJ8xiX8

チケット予約は
info@takarabune.org へ

今回のテーマは、
「自分を見つけ、生き方を選ぶ」ということですね。
詳しくは言いません!!

連絡ください!

わたるちゃんでした!
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2012年04月14日

生まれ変わったぜ

わたるです。

最近、僕は生まれ変わりました。
長年やってきたバイトも辞め、今は心からやりたいことだけで生きてます。
「やりたいこと」とは、欲求というより生命の輝きだと思います。
本当に生命を輝かせることをやりたい。そう思います。

僕は今、26歳。
読んでくれている皆さんにとって、26は「若い」でしょうか。それとも「もう若くはない」でしょうか。

最近、価値観もかなり変わりました。今年に入り、昨年までもっていた色んな物をたくさん捨てたんです。その中には、今まで何より大事にしてたものもあると思います。もしかしたら、友達も捨てたかもしれません。

僕は、生まれてから一度も、自分がしっくりとくる場所にいたことがありません。愚痴でもカッコつけでもなく、素直にそうでした。
僕は、性格もわりと社交的だし、友達もそれなりにたくさんいました。でもしっくりこなかったんです。
今まで、それをずっと自分のせいだとネガティブになってた気がします。熱い友達もたくさんいたし、みんな大好きです。でも、俺は心を開いてないのかなぁと心の中で1ミリくらい気にしてました。

気にしてる1ミリは、時に心のブレーキになります。
情熱のわりには朝寝坊はする。世の中を俯瞰で見過ぎて心と距離がある。そして、いざという時に怖がってる。ブレーキの効能はそんなことです。

自分が変われたきっかけは、やはりハワイでの公演です。僕にとってのパラダイムシフト。
そして、バンドを辞めたこと。
今まで自分のアイデンティティだったことがなくなり、ゼロから初めようと思えました。
バイトを辞めたのも大きかった。思えば8年近く務めてました。辞めたら少し心が広くなった気がします。人生はお金を稼ぐためだけの時間じゃない。それなのに、8年もお金だけを稼いで一日のほとんどを使っていました。

26歳になってわかったことは、人生は一度きりだということです。
どんなに才能があっても、どんなに毎日つまらなくても、人生は一度きり。それに26年かけてやっと最近気付きました。でもまだ「気付きはじめた」くらいで、年上の方からしたら、まだまだ青二才かもしれませんが。

人生は一度きり。
僕より年下の人には、なるべく早く本心で気が付いてもらいたいです。人生は一度きり。タイムマシンはない。一度きり。

話は飛びますが、寶船には言語学者の中山さんという人がいます(このブログでは"としひで"としておなじみですね)。
中山さんは本当に面白い人で、大好きです。心から寶船に入ってくれて良かったと思っています。
それまで連長や母以外の大人で、寶船の本質を話せる人がいませんでした。
だから僕は、何か考えごとをすると、さりげなく中山さんに聞きます。日常会話のようにさりげなく。
すると、いつも面白い答えが返ってくるんです。

前回のワンマンの練習で、野外の公園で練習していた時、休憩時間に近くのスーパーまで歩きながら尋ねました。
「中山さん、覚悟が出来るってどういうことですかねー?」
すると中山さんが、
「誕生日を生きてきた年数じゃなくて、生きられる年数を逆算することじゃないかなぁ」
と言いました。

なんかすごく納得しました。逆算という言い方は、焦りという意味もあるかもしれませんが、希望に満ちてるように聞こえました。
まさに26の自分にフィットしたからかもしれません。

人生は一度きり。
20年以上生きててしっくりこなかった自分が、ハワイに数日間行って他文化に触れただけで、つぼみが花開くようにしっくりきたり、同じメンバーの一言で情熱が沸いたり、人生は不思議で面白いなぁと思います。
一秒も無駄にしたくない。どうなったって一度なら、最高な物語を送りたい。

面白いことが待ってる予感がします。生命の輝きに満ちた毎日です。

わたる
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2012年04月03日

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ

渉です。
今日は、「人のために」という話。

情熱を保つ秘訣は、人のために何かをするということだと思う。
プレゼントを選んでいるとき、誰でも相手のことを考える。
どんなものだったらもっと相手は喜んでくれるだろうか、もっと驚かせる方法はないだろうか、
そんなことを考えているときは、決まってワクワクするものだ。

人の好みはみんな違う。70億人、みんな違う。
赤を選ぶ人もいれば、青を選ぶ人もいる。
自分の好みで押し通したって、相手は喜ばないかもしれない。

だから、相手を喜ばすマニュアルはない。
ノウハウはあっても、永遠にマニュアルは作れない。
相手の気持ちになることは、相手に合わせることじゃない。
合わせても喜ばない。
だから人を想うって難しい。

けれど、だからこそ面白い。
相手の気持ちになるって、人間の特権なんだよ。
自分のため、自分が得をするために生きても、なんかどんどん孤立していく。
人のために生きたら、何倍も力が出ると思う。

「人のために」なんてきれいごとだと思うかもしれないが、
そんな大げさなものじゃないんだよ。

いい映画を一人で見たとして、すっごい感動したとする。
でも誰にもその感動を伝えられなかったらむなしいじゃん。
この感動、誰かに伝えたいー!ってなるでしょ。

その感じを忘れなければいいと思うんだ。
一人で感じて完結するより、共有したいと思う感覚。
自分の感動が、相手にも伝わったときのさらに大きい喜び。
それがどんどん大きくなって、
「もっと感動を伝えたい!もっと感動を伝えたい!」
と思うこと。

その輪が広がって、感動を伝え人に喜びを与えること自体が情熱に代わってくる。

茂木健一郎さんが、「僕はプロフェッショナルという番組をやっていたけど、そこに出演してくれた人達に共通することは、全員“人のために生きている”ということなんだ」と言ってた。
その通りだと思う。自分・自分で成功できる人なんていないよね。相手の気持ちになれないんだから。


でも、学生の頃植えつけられたことはもっと違ったよね。
人生の目的が自分のためになってた。

大学に行くのも就活をするのも、将来の安定という「自分」のためになってた。
「(自分の)成績を上げなきゃ」
「(自分の)出席日数がやばい」
「(自分の)就活しなきゃ」
バイトしたいのも、モテたいのも、めんどくさいのも、自分・自分・自分…

それって、やっぱりむなしい。

だから、人を想い情熱を燃やす。
そして感動を共有する。
そんな生き方を僕たちは選びたい。


身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。






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2012年03月27日

偶然の出会い

どうも、わたるです。
今日は、偶然の出会いについて。


インターネットの普及や様々なサービスによって、手軽に欲しい情報を手に入れることが出来るようになった。音楽、動画、有名人の日常や専門的な知識まで、検索一発で知ることが出来る。
好きなものを好きな時間に手にすることは、人の興味を広げ、生活の効率を上げた。

しかしその反面、偶然の出会いは減った。

たとえば、映画。
僕の子供のころ、映画館に行くことは数ヶ月に一回のレジャーといった感覚で、ディズニーランドのような楽しみだった。今では前より頻繁に行くようになったけれども、未だにそわそわして落ち着かないようなワクワクがある。
レンタルDVDやYouTubeなどのサービスがほとんどない時代。映画館にあまり行けない僕の“映画”といえば、主に午後のロードショーだった。

夜9時。家族が集まって、部屋を暗くしてロードショーを見る。こんなシンプルなことがすごく楽しかった。

ロードショーのいいところは、いい作品も興味のない作品も選ばずに見ていたことだと思う。レンタルでは一生自分で借りないような作品もたくさん見た。自分が好きかどうかではなく、やっているから見る、そして家族と感想を話し合う。そんな体験の中に偶然の出会いはたくさんあった。

当時は淀川長冶さんなどの映画解説が初めと終わりについていて、“映画の見方”みたいなものを自然と学んだ。
「プラトーン」という戦争映画の解説で淀川さんが、「ヘリコプターが飛ぶシーンがすばらしい!強い風を受けて辺りの草が揺れ砂煙が舞う。その一瞬に、死体に掛かっていた布がわずかにひるがえり、死んだ兵士の顔がさり気なく映る。そこのカメラワークの見事なこと!」と解説されていたことが今でも強く印象に残っている。
そのワンカットで戦争の悲惨さや、正義とは何なのだろうという問題提議が表現されていて実に見事だ!というような解説を、あの優しい語り口でされていた。

ストーリーだけを流すように見ていたとき、“面白さの裏”にある作り手のさり気ないこだわりやディテールの見事さを教えてくれたのはそんな数々の偶然出会った映画だった。名作・駄作・奇作、今でも面白いのかわからないようなものまでたくさん出会った。でも、どれも楽しかったなぁ。

人は無駄をしたくない。失敗をしたくない。
だからなるべく失敗をしないような社会になっている。
見たいものだけレンタルやダウンロードできるのだから、時間を拘束されることもないし、途中にCMが入ることもない。失敗が怖いなら、ネットで他人の評判を見ることもできるぞ!!なんて便利!!

でも、偶然の出会いは少なくなってしまった。
知らない作品を予備知識もなくフラットな気持ちで見てたら、めちゃくちゃ面白かった!という体験が少なくなった。好きな音楽も、ダウンロードやレンタル。偶然つけたラジオに耳を奪われた!という、手にする前に出会ってしまう経験はあまりない。選んで手にする時点で、何らかの興味があるものなのだから。

人が、心底うれしい瞬間ってどんな時だろうか。
本当に湧き上がるような喜びは、いい作品を楽しんでいるときよりも、いい作品に出会った瞬間ではないかな。
出会った瞬間に自分が広がる。つまらないことも面白い。出会うことがLIVEなんだと思う。

YouTubeで、どんなアーティストを探せても、出会うんじゃなくて探しているからなんとなく感動が薄い。出会って恋愛をするんじゃなくて、好みのタイプを入力して相手を探す出会い系みたいな感覚。

思い出してみると、小学校の席替えも自由な席で友達と隣になるより、くじ引きで決めて、仲良くない奴と隣になった方がずっと楽しかったな。みんなもそうじゃない?

偶然の出会いが自分を広げる。偶然の出会いが何より楽しい。
今日はそんな、「偶然の出会い」についてでした。
最後まで読んでくれてありがとう。またすぐ書きます。


わたる
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2012年02月23日

一心不乱にいけ!

わたるです。
今日は、「楽しい」と「辛い」について。


「楽しいとき」は我を忘れているので、終わってからじゃないと気が付かない。夢中になってるから。「時間を忘れてあっという間に終わっちゃった!」と、終わってから気が付くのが「楽しい」って感覚だと思う。

でも、「辛いとき」は違う。
「疲れた」や「痛い」や「イライラする」などの、実感できる辛さがはっきりと感じとれる。
だから、辛さはタイムリーな感情。いつでも、その場で起きている不満なことは「辛いこと」に変換されてしまう。

だから、「辛い」の反対は「楽しい」じゃないかもしれない。

毎日の生活の中で、一見辛い出来事の方が多く感じることはよくある。でも当たり前で、時間を忘れて、最後に一瞬振り返る「楽しい」よりも、常に感じてる「辛さ」はたくさんあるように感じるのだ。

だから、「辛いことばっかり。楽しいことなんてない。」なんて言うなよな。そもそも比べられないんだから。「辛い・辛い・辛い」の時間が、振り返ったら「楽しかったなぁ」と思うことだってよくある。だから楽しいは深いんだよな。だから面白い。

キラキラした一瞬が最後にあればハッピーエンド。今の「辛い」はすべて吹き飛ぶよ。


楽しいかどうかを今この瞬間考えてもどうせわかんない。
だから我を忘れて行こうぜ。

一心不乱。



わたるでした。


P.S.
最近芸名が欲しいなぁと思っているんですが、僕に合う芸名を思いついた方、連絡ください!
info@takarabune.org
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2012年02月09日

「大好き」は「わからない」

わたるです。

最近フォーが好きです。
さて今日は、自分の好きや嫌いは、案外当てにならないというお話。


「嫌い」なことと「わからない」ことは似て非なるものであるが、一見同じに見える。
大人になれば、経験に元ずいて見分けが少しづづ出来てくるが、それでも難しい。

しかし、多くの「大好き」の入口は、「わからない」ことがある。

例えば。
ここ最近、仕事場近くのベトナム料理屋に頻繁に行く。日本のチェーン店にはないような味が楽しめて好きだ。
でも、最初、パクチーの美味しさがわからなかった。「入ってなければもっと美味しいのに」とよけて残していたが、全メニューにこんもり入っているのでしかたなく"通"ぶって頑張って食べてたら、いつのまにかパクチーがないと物足りなくなった。それから、むしろパクチーが味わいたくてお店に足を運ぶようになった。独特の香りがクセになって美味い。

このように、「好き」の入口は「わからない」ことが多い。

ジミ・ヘンドリックスやマイルス・デイビス、ゴーギャンや岡本太郎、そしてもちろん阿波踊りだって、大好きの入口は「わからない」ことばかり。

でも、同じように見えるからといって「嫌い」と思っていたらどうだろう。ココロの扉を閉じて、大好きには出会えなかった。

大好きになるものは、自分に新しい感覚を教えてくれるものである。その感覚が自分の一部になり欠かせないものとなった時、大好きに変身する。
でも、新しい感覚は自分に受け止める前例がないので、わからない。なんじゃこりゃ!?である。

岡本太郎が、「美しいものは、なんだこれは!!と感じるものだ」と言っていた。

新しい感覚にたくさん触れて人のココロは豊かになっていく。
簡単に「嫌い」や「無理」や「ないわー」と言ってると、大好きも見つからないよ。


好きと嫌いは案外当てにならないというお話でした。

わたる
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2012年01月31日

人生を棒に振れ!

わたるです。
ブログ二週間ぶり!ごめんね!
今日は、「新しくなると、古くはなくなる」というお話。

誰もがチャンスを待っている。誰もが、新しい未来を切り開こうと思っている。

若者はもちろんだが、実際には、「自分はこんなはずじゃない」「このまま人生終わるのだろうか」と頭をよぎることの多い大人こそ、本当は未来を切り開きたいと思っている。

しかしながら、それは親切に「より良い未来」というラベルがついていて、誰かから手渡しされるようなものではない。

「チャンスは待っていてもこない」なんて、耳にタコだ。待っていたくて待っているわけでもない。行動こそすべて、それはわかってるはずなんだ。けど…。
きっとみんなそう思ってるんじゃないかな。

より良い未来やチャンスは、得るものだと思っているから探す。探して分析してリスクを考え選択する。覚悟が必要だ!と考えたら、弱い人間はまた怖くなる。

探して、探して、見つからない。
「チャンスはそこら中にあります」
ないじゃないか!成功した奴はチャンスがある環境だからそう言うんだ!と環境を責める。

ちょっと待った!!

もし、仮に目の前に人生が180度変わるようなチャンスがあったとする。そのチャンスに乗れば必ず今までの人生が変わる、必ず。

けれど、そのチャンスの良し悪しはわからない。ましてや、後戻りは出来ない。あるのは、「わくわくする」という漠然としたみずみずしさだけ。

それでも、新しい人生を得る自信あるかな。

新しい人生を得ることと、今までの人生を捨てることは実は同じ。自分は一人しかいないから。副業のような人生は選べない。

人間は、得ることばかり考える。けど自分は一人。飛び込めない。

生まれ変わりたいなら、今までの自分を捨てなきゃ。

今までの人生なんて棒に振っちゃえ!!

そうしなきゃ、ナマケモノの俺は変わらないよ。
考える時間も覚悟もいらない。思い出にもふけらない。ぽーんと、今この瞬間に人生を捨てよう。
そしたら、不思議と手に入る。
待ってることも、得ることだけ考えることも、変わらないよ。
だってキミ、心の奥で、古いままでいようと思ってるんだもん!
特に大人!積み上げた経験や思い出や方法論を捨てる気がないんだもん!古いままでいようと思ってるんだもん!
古いままの自分を、捨てちゃおうよ!

大丈夫。捨てるって思ったって、嫌々でも必ず残るものがあるから。ついて来るなって言ったって必ずついてくるもの、それが本当に大切なもの。

だから気が付いたら勝ち。
姿勢を正すと、猫背の自分はもういないよ。

新しくすると、古くはなくなるんだよ。


わたるでした。




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2012年01月10日

"庭"とはなにか。

わたるです!
新年一発目!今日は、庭の話。

高校の同級生の"しまけん"は、京都で庭師をしている。昨年、年越しは東京に帰ってくるというので会う約束をし、大晦日に朝まで飲んだ。僕はソフトドリンクだったが。

彼が話す庭師の哲学は非常にクリエイティブで芸術的。話していてこんなに学びの多い同級生はなかなかいない。そんなしまけんの話しをしたい。

彼は実家の庭を掃除しているうちに、"庭"の空間がもつ魅力の虜になった。その後九州の学校で庭の基礎を学び、"庭"の本場・京都で働いている。

庭は、単なるスペースではない。有限な空間をいかに趣きある空間に仕上げるか、昔の人は日本の「美」を追求し続けた。

大晦日の深夜、居酒屋の壁を触りながら言う。
「この木とこの木は、誰かが無意識にしろ、隣合わせに選んだからここに並んで壁になってるんだ。元々は別の木だったかもしれないし、偶然これじゃないものを選んでいたら全然違う空間だったんだよね。」
しまけんは、そんな偶然や運命と言うべき巡り合わせに感動して今の仕事をしているという。

同じ植木の巡り合わせは二つとない。自分がハサミを入れるように誰かが同じ切り方で木を切ることもできない。
どの石を碑に使い、どんな空間を作るのか、一期一会の巡り合わせを想像しながら自分の納得のいく庭が出来たとき、深い感動があるそう。

そして、もう一つ。庭は、成長する芸術だという。植物は必ず育つ。しまけんは植木にハサミを入れる際、必ず数年後にこの庭がどうなっているかを思い巡らせながら切るという。
その日一日がキレイにまとまればいいわけではない。新しい芽や苔とともに、成長しながらも美しくたたずむ庭。そして、ある時点の瞬間を完成と呼ぶのではなく、共に美しく生きつづけること自体が完成なのかもしれないと言う。
しまけんは、楽しそうにそんな話をした。

日本には不思議な美がある。とくに京都に訪れると、お寺の庭や空間の美には無知な僕でさえも心休まる魔法がある。

しまけんは、枯山水を広めたと言われる夢窓疎石という人物に憧れがあるらしい。庭を知るためには禅や茶道も知らなければならないと、茶道も習ったりしているようだ。しまけんの情熱をもらって、空間とは何かを思い過ごす正月。いい新年だ。

"作る"という立場は僕も同じ。僕ら阿波踊りも、踊り手とお客さんや、演目とシチュエーションは一期一会。空間を作る要素全てが庭の美と同じところに感動がある。

共に生きているということが美であり、そもそも瞬間の点ではなく、それ自体全てが芸術なのではないか。
寶船の目指す、「共に生きているという踊り」と全く同じだなぁ。

庭の魅力を紐解けば、現代の僕らが忘れかけている"美"とは何かのヒントがあるかもしれない。

皆さんも、そんな気持ちで空間を楽しんでみてね。


渉でした。
posted by 創作舞踊集団 寶船 at 08:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 米澤 渉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月27日

武器になってる。

わたるです。
武器の話。

能力というのは、あたかもみんな一斉にスタートを切った"かけっこ"のように考えてしまう。あいつは俺より速い、あいつは俺より遅い…と視覚的にも一目瞭然であるのが能力である、と思いがち。

"かけっこ"が遅いやつは、速いやつより不幸であると先入観で思っている。

学生までは特にその意識が強かった。興味があることや好きなことを掘り下げる以前に、成績で能力の順位がついているような気分だった。

驚くほど恐竜に詳しい友達、体育倉庫の裏の土で泥団子を作るのが上手かった友達、アリ地獄を探して捕まえることを教えてくれた友達、雪の日でもタンクトップに短パンで通学してた友達、舌で鼻をさわれた友達、断トツで座高が高かった友達、

「座高が高かった友達」なんて、悪口じゃないか、と思うだろ?ところがどっこい!健康診断の日、彼はみんなのヒーローだったよ。彼の周りには人だかりが出来て、みんな大笑いしてた。彼も開き直って先生までも笑わせていた。

偏差値ではとうてい見えない才能をみんな持ってた。でも、学校ではそれらを「それは才能とは呼ばないよ、無駄な能力だよ」と叩き込まれたような気がする。

個性は、認識次第でコンプレックスになる。コンプレックスのない人間はいない。つまり、個性のない人間はいないのだ。

20代半ばになり、やっとその呪縛から解放されてきた。実感するまではなかなかの遠回り。でも気付けてよかったな。

今、大人として武器や生きがいにになっているものは、案外、昔は無駄と思ってた能力と対して変わらないものだ。

能力は"かけっこ"とは違う。時給930円の人が時給850円の人より毎日生き生きしてるとは限らない。
ゆっくりと自転車で旅する方が、新幹線で旅するより深く感動することだってざらにある。

個性は意外に近くにあったりする。子どもの頃好きだったもの、昔の口癖、当たり前にあり過ぎて離れたかった環境、そこに個性のヒントがあるかも。

僕の場合、阿波踊りだって近くにあり過ぎて距離を取りたいくらいだった。けど、武器になってる。
小学校で覚えて、誰より速く言えた「ポケモン言えるかな?」の歌は、この前同級生に言ったらめちゃくちゃウケた。むしろ今だからこそ昔よりウケる。忘れないでよかった!武器になってる。

漫画を書いてたことも、裁縫やミシンで縫い物をするのが好きだったことも、先生が嫌いで矛盾を論破してやろうと頑張ってたことも全部、武器になってる。

面白いもんだなぁ。


あなたの武器も、無駄な能力の中にきっとあるよ。


わたる
posted by 創作舞踊集団 寶船 at 16:04| Comment(0) | TrackBack(1) | 米澤 渉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月21日

感性はゼロにはなれない

毎年クリスマスが近づくと、山下達郎やジョンレノンのクリスマスソングを耳にする。
寒い帰り道、クリスマスムードに飾られた商店街から聞こえるクリスマスソング。家に着いてコートを掛け、ふとテレビをつけると流れるクリスマスソング。聞き飽きるほど聞いているはずなのに、なぜか毎回いいなぁと思う。

脳科学では、感動は記憶中枢と密接にリンクしているらしい。
感動には無意識に記憶を蘇らせる力があり、クリスマスソングで心が浮き立つのは、皮膚感覚で冬の寒さや寂しさ、さらに暖かい思い出や嬉しさが重なって蘇るから。

クリエイティブな作品は、それ自体をあれこれ分析しても説明出来ない。物事は全て影響し合って、結びついて生まれているから。

僕は昔、なるべく予備知識をなくして作品を感じることが芸術では大切だと思っていた。でも、それは不可能だった。
「予備知識なしで純粋に楽しむ」ということはむしろ全く純粋ではない。不自然であるし無理だから。
映画でどんなに物凄いアクションシーンがあっても、僕らは「CGすごいなぁ」と思ってしまう時代。無声映画の頃の人々とは感じ方が違って当たり前。

人間の感性は、どうやってもゼロにはなれない。はっきり言ってしまえば、昔の人と同じようには楽しめないのだ。

しかしそれが、当たり前。昔だって、さらに昔の人と同じようには楽しめない。いつの時代もそうなのだ。

ならば、今の時代の僕らが持つ感性を基盤にするしか方法はないのだ。前回の中山さんのブログであるように、僕らの感性は、今を生きる僕ら自身が磨いて感動を掴むべき。それが本当の純粋だと思うようになった。
そしてその感性は、クリエイティブな作品として、時代や生きる環境や社会問題など、様々なものが影響し合って生まれていく。クリスマスソングが胸を打つのと同じように。

デザイナーの三宅一生さんがこんな言葉を言っていた。「ファッションは、それ単体で存在することは決してない。いつでも時代と共に存在する。ならば、現実離れしたものを創造し人々に夢を与えるか、現実に一歩踏み込んでメッセージを送るか、どちらかだ」と。

阿波踊りも同じだろう。伝統も芸能も、まさにそういうものだ。「昔」をキープし続けると、時代と離れ、色褪せる。今の僕らだからこそ出来る踊り、それをクリエイティブしてバトンを渡し続けなければ、「伝統」として続かない。

寶船は、今すごく燃えている。いつか寶船で世界を回ろう。汗をかきながら笑いあって、色んな町で踊っている姿が目に浮かぶ。

毎日が勝負だぜ。
でかいことしような。

わたる




posted by 創作舞踊集団 寶船 at 13:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 米澤 渉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月13日

無謀であれ。

同級生に久々に会ったとき、なんとなくみんな疲れていた。
「仕事大変なんだ?」と聞いたら「社会人なんてみんなそうだよ」と言ってた。
あたかも"大人になることは嫌なことを無理にすること"のような雰囲気、なんか寂しかった。
みんなお酒を、飲むのが好きなんだそうだ。何よりも楽しいと言ってた。俺だって楽しかった。けど、さびしさの方が大きかった。

多くの大人は、石橋を叩き過ぎる。不安感からか、未知数な未来を未知のままにしておけなくなってしまうのか。
「ああ、この人無謀なこと言わないだろうな」と思うと、それ以上話せなくなってしまう。諦めた匂いのする笑顔がいたたまれないから。

外に出ると、ちょうど月食が見えた。らんらんとした月が少しづつ陰っていく。そこに友達も群がり、ポカンと口を開けてた。新宿は風が冷たかった。

男は、でっかいものが好きだ。根拠なんか無い。でっかい恐竜、でっかいウルトラマン、でっかいロケット…。
今だってそうさ。でっかい海、でっかい山、でっかいスカイツリー、もちろんポテトが全サイズ150円なら迷わずLサイズ。
同級生だって、みんなでっかいものが好きなはずだ。ジョッキを次々と握る拳が、それを物語っている。
男はみんなでっかいことをしたいと思っている。

俺は怖がりだ。俺だって石橋を叩いて渡るような性格だよ。
でもさ、もう失敗の選択肢を増やすのは十分、やりたいことなんて、スタート地点から見ればミッション・イン・ポッシブル。だからハラハラするんだろ。

中央線、つり革に全体重をかけてコクリコクリと忘年会帰りのサラリーマン。ガタゴトガタゴト、おしくらまんじゅうの中で、俺は自分自身に言ってた。

石橋を叩くな、思いっきりぶつかれ、ビジョンは鮮明に見ろ、無謀なことを言え、無謀を楽しめ、大人になってもでっかいことを愛せ。

無謀であれ。


毎日が勝負さ!
デカいことしような!


わたる




posted by 創作舞踊集団 寶船 at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 米澤 渉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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