2012年08月22日

阿波踊りの可能性 4

渉です。
前回は、演者に必要な3ティー(ポピュラリティー、オリジナリティー、アイデンティティー)のお話でした。

さて、今回から実際に寶船はどんな方法で阿波踊りを考えているのかを書いてみます。
今日はブレインストーミングという思考法のお話です。

昔から寶船の連長はクレイジーな発想を好む人です。「予定調和」を何よりも嫌い、そうなることが予想される場合、わざと混乱やアクシデントを起こしたりします。

子どもの頃から『「今日の公演は上手く行きそうだな」と安易に思ってる時が一番つまらない。アウェーで、もがいてる方がよっぽどいい。』といつも言われてきました。
練習してきたものが、本番で練習通りに出来たら、演者の予想内です。それでは、なんとなく満足しません。
練習と違うものになっても、演者と観客の間に化学反応が起きたら、仮に失敗であっても成功。普通と考え方が逆ですよね。

そんな連長だから、アイデアも極端なものが飛び出します。笑い話をしながら、「いや、それはダメでしょう」という話をしてたら、いつのまにか採用されてたりするのです。

「ブレインストーミング」という考え方をご存知でしょうか。
アレックス・F・オズボーンという方が考案した考え方です。
そのものの常識を出し、それを極端に反転したり誇張したりしながら、新しいアイデアをひらめく思考法です。
このブレストは様々な企業で採用されているといいます。芸能的な例では、あの「シルク・ドゥ・ソレイユ」もブレストで成功した団体だそうです。
シルクドゥソレイユは、結成当時常識だったサーカスのイメージの真逆をやりました。
具体的には「ピエロが登場しない」「チケットが高い」「動物が出てこない」「ストーリーがある」「高所得者がターゲット」などです。
これをブレストで導き出し、大成功を納めました。

これを僕は「白熱教室」というテレビで見ましたが、それよりもずっと前から寶船では同じような考え方を行っています。

野外の夏祭りが阿波踊りの常識である中、連員の反対も押し切ってライブハウスで阿波踊りの自主公演をやりました。和楽器の爆音に激しいパフォーマンスはライブハウスとの相性もよく、数々のバンドをプロに導いた店長からも大絶賛されました。
浴衣で踊るのが常識の中、全員スーツとハットとサングラスで、ブルースブラザーズのように踊ったりもしました。
太鼓や鉦で踊るのが常識である中、前回のワンマンで演出家の陸は、あえて全く違うジャンルの音楽で踊る演目をメインに持ってきたいと言い出しました。

これらは全てブレストの思考法のように、常識の真逆はなんだろう、誇張したらどうなるだろう、どうしたら驚くだろうと考えて導き出したアイデアです (本人達は無意識かもしれませんが)。

さてここで、阿波踊り界のさらなる発展のために、阿波踊りのブレストを一緒に少しやってみましょう。
(これは例としてやるだけなので、阿波踊りとかけ離れた極端なものが飛び出しても怒らないで下さいね!)

まず、阿波踊りの常識をいくつか出してみましょう。
今僕が思い付いた順に箇条書きしてみます。

1 鳴り物で踊る
2 有名連は人数も多い
3 和楽器を使う
4 鳴り物と踊りは担当が区別されている
5 浴衣や法被で踊る

まあ、今とっさに出てきたのはこんなところでしょうか。

ブレストは色々な方法がありますが、今回はわかりやすく、真逆を考える方法でやってみます。
コツは、なるべく固定概念に縛られないように、アイデアを出す時には無秩序にすることらしいです。阿波踊りならば、伝統芸能ということすら、考える時は無秩序にしましょう。なるべく自由に面白がるのです。
では、やってみます。


1 鳴り物で踊る

これは逆にすると、「鳴り物で踊らない」ですね。掛け声だけで踊るのでしょうか。手拍子かな?歌を皆で歌っても面白そう!
「踊り手全員が掛け声を叫びながら、演者と観客が一緒に手拍子をしている。そして大合唱しながら踊る」
どうですか?面白そうでしょう!
(寶船は似たようなことをやってますが…笑)


2 有名連は人数も多い

これは逆なら「有名だけど人数が少ない」ですかね。阿波踊りやってる人なら真っ先に思いつくのは四宮賀代さん率いる「グループ虹」ですね。
数人のユニットで、全員大人気ってカッコいいですよね。テンプテーションズみたいな…例がおかしいですかね。チームナックスみたいな。スマップみたいな。嵐でもいいですよ。まあ、他にもたくさんありますよね!
鳴り物も入れて、バンドのように数人のグループでもいいですね。6人くらいで。鉦1人、締1人、大太鼓1人、踊り3人ってどうでしょう!面白そう!
もう一歩踏み込んで、鳴り物は通常通りたくさんいるんだけど、踊りだけ少ないってのはどうですか?鳴り物50人に踊りが1人とか!もう、マイケル・ジャクソンレベルの演出で!ド迫力の鳴り物にソロ1人!これも面白そう!


3 和楽器を使う

逆にすると「和楽器を使わない」。
寶船もいつかニューオリンズで本場のスイングジャズとコラボしてみたいんですよね。スイングやシャッフルのノリは、阿波踊りとかなり近いと思うんですよ。吾妻光良&スウィンギンバッパーズみたいなバンドがバックにいたら最高なんですけどね!
もっと極端に、ヒップホップで踊るってのはどうでしょうか。新境地ですね!どうなるんだろう!ハードロックでもいいですね!ツェッペリンが生演奏でバックバンドしてる阿波踊り。すげえ!
あと、本当に寶船でやろうと話してたんですが、和楽器じゃなくてバケツやタライやドラム缶を叩いて踊るって面白そうじゃないですか?ブロードウェイミュージカルで「ストンプ」ってのがありますよね。それの阿波踊りバージョンです。上手かったら相当カッコいいと思います!


4 鳴り物と踊りは担当が区別されている

寶船は、基本的に鳴り物の人も踊るってのがルールなんですが、これも他の連には意外とないですよね。個人的には、両方やってる方が絶対カッコいいと思うんです。今締太鼓叩いてた人が、太鼓置いて踊り出した!って、観客から見たらアガると思うんですよ。
ステージなら、舞台上に大太鼓を置いて、踊りながら叩くってのもやりたいです。
和太鼓集団でやっている方もいらっしゃいますが、阿波踊りでは見たことないですね。阿呆連さんの阿呆囃子は、踊ってはいないですもんね。踊っても絶対格好いいと思います。
そういえば、エイサーは手で太鼓叩きながら踊りますね。ああいう方法もありだと思います!
まだまだ色々アイデア出そうです。


5 浴衣や法被で踊る

スーツはすでに寶船がやりましたね!かなり人気でした。今年の春に下北沢天狗祭りに出演した時も、連長の指示でスーツにハットで踊ったんですが、すごく反応が良かったです。
ダンスチームのコンドルズさんみたいに、学ランで踊ってもカッコいいですね!
あと、和太鼓の鼓童さんのように、上半身裸で踊るのも面白そうですね。下はふんどしでもいいですね。僕はひょろいのでマッチ棒みたいになりますが、ガタイのいい人ならカッコいいと思います。
実は前回の寶船のワンマンでは、「男のストーリー」という上半身裸で踊った演目がありました。それは笑い方向だったので、あえて細い僕も出ました。細すぎてかなり笑いが取れました。そういうやり方もありですね。
あと、昔のデビット・ボウイみたいな奇抜な衣装も憧れます。一流のデザイナーさんならどんな衣装をデザインするのか見てみたいですね。寶船がもう少し有名になったら、本気で山本寛斎さんにデザインを頼みに行こうと思ってます。


さて、今回は例ということで簡単に考えてみましたが、それでも面白そうなアイデアがたくさん出ました。
これを組み合わせたり、誇張したりしてもっと実用的な形に変えていくのです。
ブレインストーミングについては様々な書籍があり、ネットでもたくさん解説がありますので、興味があったら調べてみてください!
「オズボーンのチェックリスト」と検索しても色々出てきます。

このブレインストーミングをぜひ参考にして、もっともっと色々な面白い阿波踊りが登場してくれればいいなと思っています。
阿波踊りの可能性は、無限にあります。
一緒に頑張りましょうね!


わたる






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2012年08月21日

阿波踊りの可能性 3

渉です。
下北沢阿波踊りが無事終わりました。
応援してくれた皆さん、ありがとうございました。あの空間は、一緒に作り上げた奇跡だと思います。

さて、今日も引き続き阿波踊りの可能性について書きます。
前回は、世阿弥の感動を与える芸の心得「新しきこと、珍しきこと、面白きこと」について触れました。

今日もそれに近いお話ですが、今回は芸の内容というより僕ら自身、アーティストとしての心得を考えたいと思います。

僕は、音楽をやっていた時にレコード会社の人から、素晴らしいアーティストの条件として「3ティー」を持つことが大事だと教えられました。
3ティーとは、「ポピュラリティー、オリジナリティー、アイデンティティー」のことです。
これは、どんな芸能でも当てはまる重要な要素ですよね。素人の私たちにも実にわかりやすく演者の大切な要素を押さえていると思ったので、それ以来寶船でも口酸っぱく3ティーの話をするようになりました。

まず、「ポピュラリティー」。
つまり大衆性でしょうか。
簡単に言えば、第三者の人々が見たときに心を掴める芸であるかということですね。
これがなければ芸能として、ましてやエンターテイメントとして評価されないということになります。もちろん芸風によってどの位の共感を与え、どの程度の評価を求めるのかには差がありますが、全くポピュラリティーがないということは誰からも相手にされないということで、それこそ芸自体に何らかの問題があるのではないでしょうか。
よく「ゴッホは生前、一枚も絵が売れなかった」と言う人もいますが、時代やタイミングの違いで残念ながら生前は評価されなかったのであって、死後の評価のされ方を見るとポピュラリティーの塊ということがわかります。

しかし、芸能とは興味深いことに、ポピュラリティーを得ることが目的であっても、大衆を掴めるわけではありません。大衆性は現代ではどうしても、ビジネスとしての成功や、単に人気になればいいという安易な印象を感じる場合もあるからです。そこにアーティストとしての信念を感じられる上で、高い大衆性を放つものが本当に極上のポピュラリティーといえます。
また、100人いたら100人とも「よかった」と言うものが高いポピュラリティーを持つかというと、それも全く違います。なぜかというと、本当のポピュラリティーとは、必ずパラダイムシフト(固定概念の変革)を与えるからです。大衆の多くが「いい」というものは、その時代の中で「いいとされているもの」で、そこに衝撃はあまりありません。人は作品に共感を求めますが、本当に本能として求めているのは共感ではなく驚異なのです。ビートルズしかり、ジミヘンしかり、最近ではレディ・ガガなどもまさしくパラダイムシフトですよね。岡本太郎は、「なんだこれは!」というものが人を惹きつけると言っていました。これもポピュラリティーの本質を的確に言い当てていると思います。

次に「オリジナリティー」。
これは、独自性ですね。
自分を表現することとも言えます。
どんな芸能でも、初めたばかりの頃は、さも「いい音楽」や「いい芸」というものが存在していて、それを真似すればいい芸能に近付いていると思いがちです。しかし、すでに成功している人の表面を真似すればするほど、「あれ?俺はあの人にはなれないや」と気が付くものです。そして、やっと自分の表現ってなんだろうと考えはじめます (僕もそうでした)。
スタイルとして「いい芸」というものが存在するわけではありません。演者の人間性や個性が垣間見れるものが「いい芸」と呼ばれているにすぎないのです。
前回の「珍しきもの」でも触れたように、人は同じようなものが並んでいても手に取ろうとは思いません。そこで重要なのが「自分らしさ」です。大前提として、人間は一人ひとり皆違います。自分の強みは何かを明確にし、そこを押し出していくことが大事なのです。
長所は短所のすぐ近くにあるといいます。コンプレックスが最大の武器になるともいわれます。自分の持つ魅力を広げていき、貫いた時、他の誰にも出来ない唯一無二の芸能が確立するのです。
つまり、芸能におけるオリジナリティーとは、「俺はこういう人間だ!」ということを突き詰めることなのかもしれません。そしてクリエイティブの本質は、この自分の人間性をぶつけていくことだろうと思います。

このポピュラリティーとオリジナリティーのバランスは、どちらか一つに偏っても成り立たないものです。ポピュラリティーも突き詰めればオリジナリティーの問題にぶつかり、逆もまたしかりです。

そして最後に「アイデンティティー」。
自己同一性とも言います。
簡単に言えば、そこに自分の存在意義があるかですね。
ポピュラリティーとオリジナリティーを模索し自分の芸に評価が出てくると、最終的に、社会における自分の表現の価値などを考えるようになると思います。
芸能としてのオリジナリティーではなく、もっとその根本の存在意義、他者の中で自分の価値はどこにあるのだろうかという問いですね。
「何の為にやっているのか」。
この模索がアイデンティティーの確立へのモラトリアムではないでしょうか。
人間は一人では生きられず、互いに影響し合って存在しています。その他者に出会う中で「自分は誰か」を確かめ、その後自分の出来るベストな役割を見つけていくのです。
ですから、「今自分がこの芸をやる意味はなんだろう」と、演者は常に考える必要があるのです。
アイデンティティーがぶれないアーティストは、仮に芸のジャンルを変えて表現内容を全く違うものにしても、「あ、確かにこの人らしいな」と思えるものです。作品の方向性を毎回180度変えても、長いキャリアを全て見てみると、「なるほど、最初から同じことを続けてたんだ」と思えるアーティストもいますよね。それがアイデンティティーだと思います。
社会の中で、なぜこの表現をしてるかがぶれない。それが優れたアーティストに必要なのでしょう。

以上、僕なりに演者に必要な要素、3ティー(ポピュラリティー、オリジナリティー、アイデンティティー)について考えてみました。
3ティーと向き合い、より素晴らしい阿波踊りを模索して行きましょうね、!


わたる






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2012年08月18日

阿波踊りの可能性 2

渉です。
本日は下北沢の阿波踊りでした。
見てくれた皆さん、ありがとうございます!

今日は前回に続き、阿波踊りの可能性について考えてみます。

さて、前回の書いたように、「人々が心から熱狂できる芸能を探求し続けたい」と思ったとき、どのような考え方を指標に置けばいいのかを今日は書いてみます。
芸の指標を誤ると、例えば目的が「ウケればいい」という考え方にもいきかねません。エスカレートすると、「モテればいい」と考える人も出てくるかもしれません。
しかし、その要素はどちらも結果であって、目的ではないのです。目先の結果を求めると、それこそ軸がぶれていきます。

芸能や芸術に携わる人がまず指標として持っているのは、感動を与えるということではないでしょうか。どんな感動なのかはそれぞれあるでしょうが、見る人の心を掴みたいと誰もが思っているはずです。
しかし、人を感動させることは数学的に答えがあるものではありません。ですから、モヤモヤのまま思い付きや何となくでいる人も多いことでしょう。
感動に答えはないにしろ、少しでもクリエイティブの指標をロジカルに考えられないかと思い、ここでまた世阿弥さんの言葉を引用します。
世阿弥は、芸で人を感動させる心得を「新しきこと、珍しきこと、面白きこと」と言っています。

まず重要なのは、「新しきこと」と「珍しきこと」は違うということです。
よく芸能や芸術は、時代を読む力が大切であると言われます。
過去からどんな経緯で今になっているのかを考え、一歩先の未来を提示することが必要なのです。
その際に、この二つの認識が非常に大切になります。
では、僕なりに、どう違うかを考えてみます。

「新しきこと」とは、時代性です。
過去にないもの。これが「新しきこと」です。
例えば、ジミ・ヘンドリックスのような音楽を今同じようにやっても、
「それ、何十年も前にジミヘンがやってるじゃん」となり、彼が登場した時代の衝撃はありません。
簡単に言えば、「二番煎じはつまらない」ということです。
仮に二番煎じでどんなに素晴らしいものを作っても、一番最初に生み出した人ほど評価されません。
それほど「新しきもの」には価値があるのです。
しかし、新しいものが突然生み出されることはまずありえません。
何かと何かが融合したり、誇張したり、視点を変えたりと、新しいものは時代の中で様々なものが化学反応を起こしながら生まれていくのです。


では、「珍しきこと」とはなんでしょうか。
わかりやすくいうと、差別化です。
今の自分の周りにはどんなものがあるのか、その中で目を引くにはどうすればいいのかが差別化ですね。
同じようなものが並んでいると人は手に取ろうと思いません。
マーケティングの考え方にも近いですね。
森の中に木を植えても、誰も気がつかないのです。
注目されるには、注目される理由があります。
優れた芸はヒットする商品と同じく、必ず差別化に成功しているのです。
独自性や強みを押し出し目にとまることが、芸を認識してもらう前提であると思います。


そして最後に、「面白きこと」。
この「面白きこと」がまた難しい。
好みは人それぞれあるからです。
しかしここで注目したいのは、決して「楽しきこと」ではないという点です。
面白いという言葉には、楽しさだけでなく喜怒哀楽の全てが詰まっています。
例えば、ものすごく悲しい映画も、ものすごく怖いホラー映画も「面白い」と思うことってありますよね。
つまり面白いという言葉は、様々な感情の奥にある、人間の欲求を満たす「何か」であると思います。
笑顔や拍手喝采がある芸はもちろん「面白きこと」です。
けれども、驚異を感じ引きつった顔や、息を呑んでいる静けさがある芸も、「面白きこと」なのです。
何が面白いのかについては思想的な話になり長くなるので割愛しますが、演者である僕らは、常に「面白きこと」の探求が必要不可欠であることは間違いないでしょう。


過去にない「新しきこと」を考えること。
今の社会を読み「珍しきこと」を考えること。
そして人間の深層心理にある「面白きこと」を探求すること。
これらが合わさって、新鮮で時代の一歩先を行く芸が見えてくるのだろうと思います。
根っからの目立ちたがり屋で人の目を引く感覚が長けていたり、生まれながらの天才肌で観客を沸かせるコツを無意識に心得ている人もいます。
しかし初心者や僕のような未熟者は、頭の片隅にこの「新しきこと、珍しきこと、面白きこと」を置いておき、少しロジカルに芸を考えてみるのがいいのではないでしょうか。
まぐれは何度も続きません。
偉大な名人や芸術家が素晴らしい作品を生み出し続けられるのは、理論的にも確固たる哲学を持っているからなのです。


わたる


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2012年08月16日

阿波踊りの可能性 1

お久しぶりです。渉です。
阿波踊りシーズンもクライマックス。
寶船は本場徳島から帰ってきました。

さて今日は阿波踊りの可能性について考えてみます。
最近、芸能と日本の文化を考えるとき、世阿弥の言葉を思い出します。
歌舞伎と阿波踊りは、歴史をさかのぼると起源は同じであると以前書きました
もっと言えば、能も落語も文楽も漫才も、根本は同じなのだろうと思います。
つまり、どの要素を強く押し出し歴史を積み重ねたかの違いで、全く異なる芸能に発展するのです。
その日本文化の根本を、わかりやすく、現在でも通用する言葉で説いたのが世阿弥でした。
世阿弥についてはもっともっと詳しい方々がいると思うので割愛しますが、とにかく日本の芸能を学ぶと必ず通る人物です。その言葉の普遍性は素晴らしく、様々なジャンルの尊敬する先人達を見てみると、驚くほど世阿弥の言葉に当てはまっているのです。
そのため、阿波踊りの未来を考える指標として、世阿弥の言葉を借りて考えてみます。

世阿弥の言葉で、「住(じゅう)する所(ところ)なきを、まず花と知るべし」という言葉があります。
同じ場所で留まるのではなく、常に変化し続けることが芸の本質である、という意味です。
この言葉は、今の僕のスローガンでもあります。
日本文化や伝統というと、先人たちの「型」を受け継ぐことが大事であると考えがちです。
僕自身もそうでした。しかし、いわば伝統の元祖である世阿弥が真逆のことを言っているのです。
文化や芸能こそ、変化し続けなければならない。変化をためらい、「型」だけをコピーする芸は死んだと同じということを説いています。

阿波踊りをかじると、やたらと「正調」という言葉を使う人がいます。
しかし、本当に知識や歴史を知る人は、「正調」なんてものはないことを知っています。
阿波踊りは芸体を様々に変化させていることは、ウィキペディアにすら書いてあるのです。
現在の阿波踊りの芸体は、戦後に少しづつ確立されたもので、その型だけを正調と呼ぶのは、400年以上の歴史の中では表面だけをなぞるようなものです。
ここで誤解のないように改めて言いますが、僕ら寶船は、徳島の阿波踊りを心底尊敬しています。
毎年徳島に行くと、その凄さや雰囲気に圧倒されます。
今でも徳島の連を見る時には、子供の頃に戻ったように心が踊り目が輝いている自分がいます。

本場の演者の皆さんや偉大な先人の皆さんを心からリスペクトしているからこそ、誠実に次の時代にバトンを渡したいという気持ちが湧いてくるのです。

現在の阿波踊り界のトップの連長さんたちは、三大主流を確立させた世代です。
その以前には、娯茶平さんの網打ちも、阿呆連さんの武士の踊りも、天水連さんの奴踊りもありませんでした。
もちろん、女踊りの形も全く違いました。傘の被り方すら違います。
そして興味深いのは、三大主流や今の「型」がない以前には、全く別の「正調」と呼ばれた「型」があったということです。
それに様々なアイディアを取り入れ発展させ、試行錯誤しながら今の「型」として定着させたのです。
まさしく「住する所なきを、まず花と知るべし」だと思います。素晴らしいです。
一世を風靡し阿波踊り界のトップに立った方々は、必ず「新しいこと」を取り入れているのです。

色々な方の話を聞きましたが、新しいことに挑戦するときには必ず批判があるそうです。
「こんなの阿波踊りじゃない」「正調を守れ」「伝統をなんだと思ってるんだ」という声は、古今東西いつでもあるようです。
それでも、観客を楽しませたい、驚かせたい、もっともっと面白いことをやろうという、純粋で前向きな挑戦が固定概念を壊し、新たな「型」を作るのです。

さて、その息子や孫にあたる僕らのすべきことはなんでしょうか。
どのように阿波踊りの可能性を提示し、次の世代にバトンを渡せばいいのでしょうか。

僕らの上の世代の皆さんが確立された「型」をコピーしペーストし続けることでしょうか。
それともその「型」をリスペクトした上で、更なる発展のために新しい挑戦と試行錯誤を繰り返し、生きた芸能を受け継ぐことでしょうか。

住する所なきを、まず花と知るべし。
完全に後者だと僕は思っています。

伝統をリスペクトし、今の時代の人々が心から熱狂できる芸能を探求し続ける、それが阿波踊りの精神です。
そしてそれは、文化や芸能全てに当てはまる普遍的な精神だと思います。


わたる
posted by 創作舞踊集団 寶船 at 19:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 米澤 渉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月03日

アドリブでいこう

僕は、アドリブを大事に人生を生きていきたいと思う。

「アドリブ」というのは、自分の技を自分という枠のなかだけで演じているのではなく、その場その場で、その時の相手との間合いの中で、相手との駆け引きの中で、相手と共に自分の動きを創り出す、ということ。

駆け引きの相手には共演者も、観客も含まれる。踊りにしても人生にしてもその場の動きに関わってくれる人すべてが「相手」。

人との関係の中で動的に動いていると、僕らは自分たちの持ち前の力以上の力を発揮する。それは相手との駆け引きの中ではフィードバックが多様で想定外であり得るから。

生きたアドリブづくりには、お互いが相手に「振り回される」ことが大事。同じ場にいても、お互いが自分の殻に収まって、自分がすべてコントロールすることにこだわっていると、お互い自分の想定内でしか動かない。相手に「あずけて」自分を振り回させることで、相手の想定外の動きに突き動かされ、お互いの行動が持ち前の枠を超えて、はじける。

これは、「相手まかせ」「状況まかせ」とは違う。あずける先は相手自身ではない。相手からの要求や刺激だけに応えると、動きは結局相手という一人の人間の想定内に収まって固定化してしまう。

大事なのは、自分だけでもなく、相手だけでもなく、自分と相手との関係の中で相手の動きとどうからむかということ。刻々と変わる相手との間合いの中で、自分の踏み出した一歩に相手がどう応えてくるか。それを踏まえて、その場の流れと新たな間合いの中にどう自分の次の動きを織り込んでいくか。

そんな風に、常に相手を見ながら、相手と引っ張り引っ張られながら、時には相手からの無茶振りに慌てながら、柔軟に、自分の多様な力を引きださせながら、生きていきたい。

としひで
posted by 創作舞踊集団 寶船 at 02:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 中山 俊秀 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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