2012年07月22日

阿波踊りというものがだんだんわかり始めた。

昨日は今年の夏の本番一本目の経堂だった。なかなかの幸先の良いスタートだったと思う。

そして何よりも、僕はここ最近阿波踊りという芸能の素晴らしさを改めて実感している。
昨日冗談で連員に「僕十八年もやってきたけど最近阿波踊りの楽しさがやっとわかってきた。」みたいなことを言ったけど、あながち冗談でもない気がする。
この世の中にここまで生身の“人間”のぶつかり合う芸能があるだろうか。誤解を恐れずに言うと、技術とか動き方とかそういうものはあまり関係ない。まさにそこに人間がいて、いかにその人間というものを瞬間的に放出するかの勝負である。

阿波踊りっていうのは「俺が今ここに生きているんだ!!」という意思表示だと思う。何より大事な事は自分という人間を全部出すこと。しかしこれがものすごく難しい。自分を表現出来る人間はこの世に自分しかいない。その自分という人間も毎分ごとに成長していくわけで、だとすると自分が生きていく限り阿波踊りの完成などないのだ。自分の成長に合わせて阿波踊りも成長していかなくてはいけない。だから僕は阿波踊りが上手くなる方法は、
「一生懸命生きる」
ということだと思っている。
振付とか衣装とか基本的な技術とかそういうものはもちろん大事な事なんだけれども、あくまでそれは受け皿であって一番表現しなくちゃいけないものは人間である。
この世の中には沢山の芸能がある。それらはほとんどの場合経験や技術がものを言うことが多い。もちろん阿波踊りだってそういう側面もあるが、必ずしもそれだけじゃないから面白い。
時には阿波踊り歴二日目の人が二十年目のベテランに勝ってしまうことだってあり得る。これだから阿波踊りは面白い。

しかし、ちょっと屁理屈に聞こえるけれども技術はあまり関係ないとはいえ、“人間を表現する”という技術もまたある。
つまりそこが阿波踊りの伝統芸能たる由縁なんじゃないかと思う。阿波踊りは動き方や形ではなく、心を伝達する芸能である。その心の部分に関しては今までもこれからも決して変わることのないものだ。そしてその心を表現するにはある程度の技術がいる。本当の意味での阿波踊りの技術っていうのはそういうことだと思う。阿波踊りという芸能はそこをこれからも伝達していかなければならない。だから阿波踊りはただのアバンギャルドではない。江戸時代の人も今の人も同じ心で踊っている、という伝統をこれからも意識していかなければいけないと思う。阿波踊りは形ではなく、心を伝達するものであるからこそ、伝達することがものすごく難しい。だからこそ僕たちのような今の人達が頑張らなくてはならないと思う。

夏はまだまだ始まったばかりだ。とてもわくわくする。



たかし
posted by 創作舞踊集団 寶船 at 13:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 米澤 陸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月21日

特別な夏

ちょっとでも嫌なことがあると、「自分はなんて恵まれない人生なんだ」と思う。

また逆に、
ちょっとでも良いことがあると、「自分はなんて幸せな人生なんだ」と思う。

一見、人の人生観というものは、まるで今までもこれからも変わることが許されない程に揺るぎないものだと思いがちだが、案外人というのは、目の前にある景色だけで生きているような気がする。
目の前で雨が降っていたら、明日晴れる事なんて想像もつかなくなってしまうし、晴れていたら雨の事なんて考えないで、洗濯物を干すものだ。

人はバーゲンセールと言われるだけで、普段は絶対に買わないようなものを買ってしまう。「通常は2万円ですが、本日に限り特別価格の1万円です。」と言われるとついつい買ってしまうことがある。しかし、1万円だって十分高いことに気づくまでには時間がかかる。

心理テストで「あなたはたとえ一人でも人の意見に振り回されない一本筋の通った人物です」と言われると、「あぁ当たってる」と思うし、
心理テストで「あなたは人の意見をちゃんと聞き誰よりも仲間を大切にしている優しい人物です」と言われても、「あぁ当たってる」と思う。

要するに人は人生というものを、まるでさも分かっているような顔をしても、実は一秒後だってわかりはしないのだと思う。

西も東もわからないこの状況でとりあえず一歩目を踏み出すきっかけになるものが、コンパスである。
人が生きる上でのコンパスというのは“思い込み”であるような気がする。

「恵まれない人生だ」と思い込むと、恵まれない人生になってしまうし、「幸せな人生だ」と思い込むと、時に本当に幸せな人生になったりするかもしれない。

大っ嫌いだったあいつがちょっと何かあっただけで大好きになってしまったり、昔欲しくなかったものが、今は一番欲しいものだったりする。

全部思い込みだ。

成功も失敗も、幸せも不幸も、ポジティブもネガティブも、好きも嫌いも、思い込み。

その“思い込む”がいつの日か“信じる”に変わり、それがいつの日か“ほんとう”に変わる。

この世に特別な人なんていない。この世に特別価格などない。
その人が“特別”だと思い込んだ瞬間に、それは“特別”に変わる。



今日から寶船はいよいよ夏の本番だ。今年もいよいよ夏がやってきた。



今年の夏は特別で最高の夏になる。

と、僕は思い込む。






たかし





posted by 創作舞踊集団 寶船 at 11:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 米澤 陸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月08日

秋公演稽古中!

ただいま、秋ワンマンの稽古中!!
台本が一部上がってきました!
楽しみです。
今回はまたさらに違った公演になりそうです。
阿波踊りシーンもいっぱいありますよ!

寳船 秋公演 「門は開かれ」
9月20日木曜日/21日金曜日
開場 6時30分
開演 7時
会場 仙川劇場


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posted by 創作舞踊集団 寶船 at 16:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 米澤 萌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月04日

行動派になる秘訣

こんばんは、としひで です。

春のワンマン、楽しんでいただけましたか。お会いできた方々、持ち帰っていただいたトロピカル、みなさんの生活にどんな香りをもたらしているでしょうか。今回お会いできなかった方々、次回もまたすばらしい贈り物をおわけしますので、お楽しみに。

さて、今日は心配性の僕が行動派になろうと試行錯誤を繰り返した末に気がついたことをお話ししようと思います。

だれでも、自分の力を最大限に発揮したい!と思いますよね。

そんな時には、どうすれば力が発揮できるのか、何をやればよいのかなどと考え込まずに、とにかく行動することだ、とよく言われます。僕も頭ではそれがわかっていたつもりだったのですが、これが以外と難しい。どんどん行動していくというのはどういうことで、どうすればできるのでしょうか。考えずに闇雲に体当たりするということとは違う気がします。いろいろ思い切ったことをしてみたり、試しにやってみたりはするのですが、行動することでバリバリ切り開いていくということはなかなか継続的に続けられませんでした。

わかりにくいのは―少なくとも僕にはわかりにくかったのは、それまで悩み性、心配性だった人が行動派に変わっていくためには、体を動かそう!と意気込むだけでは難しい部分があるということです。悩まず行動しよう!とやりはじめても、結局次々と心配やら不安やら後悔やら自己批判やらが沸き上がってくると行動する自分はすぐに疲弊してしまうんですね。実際、僕も不安やら自己批判がきつい方なので、行動するときはやること自体の大変さの上に自己不信の重荷を背負ってやってきました。そこで感じる「重荷」が、何かを行動に移すときの大きな足かせになってきたのです。

そのことにやっと最近気がつきました。

そして、それと同時に、大事なのは今を生き抜こうとしている自分が力を最大限出せるようにとことん応援するということだ、ということがわかったんです。

リアルに事が動くのは「今」だけ。それ以外は、将来への立派そうな予想も不安もみな想像だったり、夢想だったり、取り越し苦労だったり、思い込みだったり、過去に対する批判もみな無責任なコメントだったり、妄想だったり、現実の光の中では雲散霧消してしまうような実体のないもの。そのリアルな「今」に立ち向かっている「自分」が唯一の望み。一番正しく、一番偉い。その「今にたちむかう自分」にその力を最大限に出してもらわなければ、これからの自分もないんです。すばらしいはずの未来の自分や想像上の自分と比べて「今に対峙する自分」を小馬鹿にしてないがしろにしたら、「自分」自体がなくなるんです。だから、「今に対峙する自分」が一番偉い。

だから応援するんです。「今に対峙する自分」は全肯定で出発です。

これは自分に甘くすることとはちがいます。今を力一杯生きようと歯を食いしばることは大前提。その上で、そうしている自分を大いに応援しようと言うことです。「今に対峙する自分」を自分がたたいてどうする。他人のように批判してどうする。そういうことです。

詰まるところ、バリバリ行動して切り拓いていくパターンを作って自分の力をめいっぱい発揮していくには、「今に対峙する自分」を精一杯応援することで「今」を生き抜く戦いを心置きなく力一杯闘わせてあげるということ。そう思ったら腑に落ちました。

としひで でした。
posted by 創作舞踊集団 寶船 at 00:18| Comment(1) | TrackBack(0) | 中山 俊秀 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月24日

安らかなる選択、終了!

わたるです。

「安らかなる選択」が、無事に満員御礼で終わることが出来ました。来てくれた皆さん、応援してくれた皆さん、本当にありがとう。色々な方が素晴らしい感想をくれて、連員一同嬉しく思ってます。


終わったあと演出の陸と話したが、今回は「阿波踊り」を意図的に距離を置いた作品にしたため「こんなの阿波踊りじゃない!」という意見がもっと聞かれるかと思った。
意外にもあまりなかったけれども。

寶船のやろうとしているパフォーマンスは、踊りと芝居と歌が混ざり合っていて、笑いや感動もある総合エンターテイメントである。

なぜ阿波踊りをやってる僕らが歌や芝居までを取り入れてきたのかと言うと、実はしっかりした理由がある。
寶船はワンマンを始めた時から、意図的にこの形を作ってきた。

というのは、阿波踊りの原点は「歌舞伎」と同じで、「傾く(かぶく)」ということから始まった。

「歌舞伎」は文字通り、「歌」と「舞(踊り)」と「演技(芝居)」であって、日本のミュージカルと言っていい。
阿波踊りも、江戸時代は「にわか」という芝居や「組踊り」という派手な舞、そして「よしこの節」という当時の流行歌によって成り立っていた。幕府の弾圧や戦後に衰退した経緯がなければ、阿波踊りはもしかしたら現代でも、芝居と踊りと歌のエンターテイメントだったかもしれない。

僕らがやりたいのは、当時の人々がタイムリーに熱狂した阿波踊りと同じ感覚で、タイムリーな阿波踊りにアップデートすることである。古典をリスペクトした上で、今の僕らは「今」を作り出す。そんな挑戦なのだ。

そんなこともあってか、日本における「阿波踊り」という先入観と戦っていると言ってもいい。歴史的に見ればWikipediaにすら書いてあるが、そこまで深く追求する人はそういない。
だからこそ、本当の阿波踊りはどちらか、寶船が先陣を切って証明したいと思っている。
阿波踊りのレジェンドである名人、四宮生重郎さんがレディ・ガガやマイケル・ジャクソンで踊っているのを見て、僕はとても感動した。これこそ阿波踊りの心。
なぜ80歳ほどの名人がこんなに現代にアップデートしたパフォーマンスをしているのに、他の連は誰もやらないんだろう。古典という先入観にとらわれて、本当の歴史を遡ることもなく、「阿波踊りっぽいもの」をやっているだけ。それでは廃れてもしょうがない。

寶船の連長の米澤曜も徳島出身だが、昔見た阿波踊りはもっと本当に自由だったという。一人ひとり個性的で、その迫力は怖い程だったという。

寶船が今回、阿波踊りとあえて距離をとった理由はここにあって、「阿波踊りっぽいもの」を失くして「阿波踊りをやる」という意図があった。

「安らかなる選択」は、そんな寶船の道筋が垣間見れた作品になった。喜んでくれた皆さんがいて、本当に良かった。

これからも、皆さんの予想を裏切り、期待に応え続ける集団でありたい。

頑張ります。


わたる





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posted by 創作舞踊集団 寶船 at 04:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 米澤 渉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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