2012年05月01日

稽古を見ていて

随分以前の産経新聞に、小学校受験学習法と言う記事があった。
最近の子供は体操のウォ−ミングアップをしただけで、「疲れた〜」という子供が多いとかいてあった。
連員が小学生の時も同じだったが、毎回「疲れた〜。」と言う子供が必ず退連していった。
嫌なことから逃げる為に「疲れた」と言うと書いてあったが、疲れたと言えば親が許してくれたのだろう。
体力も能力も持っている力は、使い切る事が必要である。
大人が上手に負荷をかけて、能力も体力も底をつくまで使わせるからこそ、成長するのだ。

産経新聞が実施した調査で、働くことに対し前向きになれない若者像が垣間見え、大学側が懸念を抱いているとあった。
原因は、過保護と過干渉で、ハングリ−精神が希薄化している。ゆとり教育の弊害で競争心がないという。学生は、働く目的意識も将来の夢もないと言う。
企業が求めている能力は、ねばり強さ・ストレス耐性やコミュニケ−ション力。

寶船の連員も同じような年齢の若者達だが、全く違う。
日々の稽古の中で、確実にねばり強さが身についている。
特に、5月に向けての稽古では、連員の成長に目を見張る。
時には稽古を中断して、テ−ブルを倒し、喧嘩越しの言い合いになる。
最初は、発言の順番など上面の言い争いであるが、徐々に内容の確信に入っていく。
稽古に集中できなかった連員も、演出の核心を見つめ始める。

演出家だけでは、作品は出来ない。
演出家の投げたボ−ルをどうやって投げ返すのか。
投げて投げ返して、必死にキャッチボ−ルをして、やっと答えが導かれる。
そもそも、演出家がすべて解っているなら、公演作品にならない。
稽古して、喧嘩して、悩み揉んで、やっと出口が見つかる。
大切なことは、作品に向かい真剣にしがみ付いて、心が裸になって生き直すことしかないようだ。
1日中振付演出を考えている人、稽古場の進行状況に気を配り、連員のモチベ−ションを上げる努力をしている人、出席確認のためにいつも携帯で連絡を取っている人(この為か、寶船は非常に出席率が高い)、移動の為にわざわざ親の車を出してくれる人、こんな状況で最高の作品ができるのか!と問題提示する人。振付に参加していない連員に一人づつ面接をして、一人一人の特質を引き出しているいる幹部連員。稽古が終わるとすぐに掃除を始める大学生。

これだから、バイト先でもすこぶる評判が良い。
ちょっと叱責されてもへこたれない。
連長や指導者に指摘されることが多いせいか、在籍年数が長い連員ほど忍耐力がある。
何か問題を起こしても、先輩や仲間が厳しく、時にやさしく指導している。
連員の問題解決の為、私のところに先輩連員から電話がかかってきて2〜3時間話し込んだり、悩んだり落ち込んでいる連員からメ−ルが来たりする。
将来どんな人生を送っていけば良いのか、何時間も仲間や指導者と話している。
こんな光景を見ていると、この子達は本当に寶船に在籍していて良かった。と思う。
こんなに自分の連員を褒めるのは、親バカだと言われそうだが、小学生から成長を見ている私にとって、これこそ奇跡なのだ。

本番では、踊り始めて200メ−トルで体力的な限界が来ている。
あとは、自分との挑戦をしているのだ。
そして、ミラクルを作り出す。
挑戦をし続けている人の姿は、美しい。
これからも、ワクワクする人生の作り方を一緒に学んで生きたい。
難しい課題だけれど、必ず助け合って素晴らしい人生の目標を選びとって欲しい。



 のりこ
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posted by 創作舞踊集団 寶船 at 13:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 米澤 紀子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月25日

「命がけ」と喜びのやり取りについての追記

こんばんは、としひで です。
数日前のブログで、僕は命がけで喜びにこだわり、命がけで人を喜ばせたい、ということを書きました。その後、このことに関して二つばかり書き足したくなったので、追加を。

まず、「命がけ」ということばについて。

ご存じの通り、寶船の合い言葉は「踊り出したら命がけ」。寶船はとにかく手加減せずに全力を出して踊る、という意味ですが、この「命がけ」ということばが微妙にしっくり来ていなかったんです。それというのも、「命がけ」というと、僕には特攻隊のような破れかぶれの体当たりという感じで、文字どおり死にものぐるいで死ぬつもりで無茶をするといったイメージがあったんです。でも、僕は思い切り生きるために踊っている。そのあたりのズレが「命がけで踊る」ということばに違和感を持たせていたのだと最近(きのう!)気がつきました。そして、同時に、実は「命がけ」というのはそういう意味ではないのだと気がついたのです。

みなさんが「命がけ」ということばに対して持つイメージがどんなものかわかりませんが、僕と同じような感覚の人もいるかもしれないので、その人たちのために僕の気づきを共有します。

「命がけ」というのは、本気で命をつぎ込むということ。これは命をなげうつと言うことではなく、大事にすることに全力で命を余すところなくつぎ込んで生き切るということです。だから、「命がけで踊る」というのは、自分の力を全て出し切って踊ることを通して大いに生きる、ということです。命がけで喜び、喜ばせる、というのも、喜び、喜ばせることを一生懸命やってとことん生きる、ということです。

これがわかってやっと、「命がけで踊る」という言葉がストンと心に落ちました。遅ればせながら。

二つ目は、人を喜ばせるということの意味について。

命がけで人を喜ばせたいと思っている僕にとって、人が喜んでくれることは無性にうれしい。先週わたるくんがこのブログに書いてくれた気持ち(>この記事)は涙が出るほどうれしかった。良いことを言ってくれたとかいうことではなく、僕との出会いや僕と話したことを喜んでくれたことが、うれしい。

審査や批評家などの「客観的な評価」や「賛辞」などもありがたいことには違いないが、そうした生の感覚を押し殺して平均化された基準にはめ込まれた反応ではなく、一人ひとりの人の小さくても生で純粋な喜びこそに、僕は生きがいを感じる。

だから、僕も大切な人には「客観的な評価」や型どおりの「褒め言葉」で気持ちを伝えるような無礼なまねはしない。自分のもらった喜び、感動を素直に直接伝えたいと思う。

そして、そんな生で純粋な喜びをやり取りする関係の中で生きていきたいと思う。

としひで でした。
posted by 創作舞踊集団 寶船 at 00:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 中山 俊秀 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月23日

喜び、喜ばせることに命かけませんか

こんばんは、としひで です。
ちょっと最近考えていることを。

自分の生きがいってなんなのだろうか。
そんなことを、いい歳になっても考え続けている。

自分の力を発揮して、なんかやってやりたい。

でも、「力を発揮する」、「なんかやってやる」とはどんなことなのだろう。

とことん突き詰めると、それは誰かに喜ばれる、ということなんだろうと思う。

それも、「ああ、おもしろかった」とさらっと流せるような気軽な喜びじゃなくて、鳥肌が立つような感激とか、涙が出るようなうれしさとか、身動きできないような美しさとか。そんな、純度の高い喜びを感じてもらえるということ。

僕は今、そんな強烈な喜びを人にもたらすことに命をかけたいと思う。

そんな風に思ったときに、一緒に命をかけようと言える仲間は意外と少ない。
特に大人になると。

人を心底喜ばせることは、自分自信がとことん喜びにこだわり、掘り下げていなくてはできない。
でも、よい組織人である大人は、組織内での自分の役割や責任を喜びとすり替えてしまいがち。組織の中できちんと働くことの満足感やそれへの報酬が心の喜びに優先してしまう。

喜ぶことにとことんこだわり、人を喜ばせることに一緒に命をかけようとする人、いませんか。
連絡待ってます。

としひで でした。
posted by 創作舞踊集団 寶船 at 00:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 中山 俊秀 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月15日

昇進が嫌い

昇進は嫌い。

知人から相談を受けた。つつじが咲くころに昇進の辞令がでそうだ。
どうしても昇進したくない。
数万の役職手当てなど要らない。
今までずっと、上司を批判してきたのにその立場になったら、自分もその人達のようになってしまいそうだ。
仕事は好きだし、何の問題もないが、昇進したら上から圧力をかけられ、下から突き上げられる。
そんな精神的に追い込まれるのはつらいので、仕事をやめたい。

私は、彼が20代のころからから知っているが、ずっと以前も昇進ストレスで企業を辞めた経験がある。
30代半ばに入り、安定した職に就きたいというので仕事を紹介したのだ。
実は、数年前にも仕事を辞めたいと相談があった。その時は辞めるなら早く決断して、新しい人生を歩み始めた方が良いとアドバイスしたことがある。
トップレベルの高校を出て、大学から就職する時もがつがつ就活したわけではないらしい。
与えられた仕事は優秀にこなすが、改革しない。
彼は、毎日母親が作ってくれたお弁当を持って出勤する。
40代を前にして、母親が結婚しろと、うるさいらしい。
本人も結婚したいし(少なくとも私は、そう聞いている)親も結婚させたいので、母親が結婚紹介所に登録したが、連絡が来たパ−ティに2回出席したのみ。
私にも、「誰かいないですかね?」と尋ねるので、友人が企画した町コンを紹介した。
すると彼は、申し訳なさそうに「自分は、その町を電車で通り過ぎるだけだから。」と辞退してきた。

彼のように、ハンサムでオシャレ、性格もよく仕事も出来るのに、自ら未来を切り開く努力が出来ない人を何人も知っている。
状況が変わらないなら、自分から状況を変える以外にはない、というあたり前のことをしない。
このままでは昇進し、ノイロ−ゼ気味になるか、仕事を辞めてフリ−タ−になる以外の道を見つけ出さないと思う。
そんな、未来が見えるようで怖い。

打開策なんて、マニュアルには書いていない。
上司から追い詰められ、逃げ場がなくなった時にしか打開策なんて見つからない。

寶船だってそうだ。
いつもいつも、いっぱいいっぱい。
いつもいつも、やっとやっと。
毎回、目の前が真っ暗になる。
だけど楽しい。だけどワクワクする。
追い詰められて、冷や汗かきながら、ぶっつかって行くと何か起きる。
失敗もいっぱいしたし、もう全部辞めたいと思ったときもいっぱいあったけど、
必ず新しい奇跡に出会えた。

もうちょっと。もうちょっと頑張れ。
あなたの能力と人柄なら、きっと回りがほって置かない。
必死でもがいていたら、必ず助け舟が出るよ。
だから、もうちょっと、もうちょっと頑張って欲しい。

一歩踏み出す勇気がないのは、みんな同じ。
あなたと同じ。
寶船は、エリートの集団ではいけど、必死になってもがく方法を知っている。
自分が挑戦する扉をこじ開けようと必死になったいるなけだ。
寶船は、沢山の「あなた」の為に踊り続ける。




のりこ
posted by 創作舞踊集団 寶船 at 12:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 米澤 紀子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月14日

生まれ変わったぜ

わたるです。

最近、僕は生まれ変わりました。
長年やってきたバイトも辞め、今は心からやりたいことだけで生きてます。
「やりたいこと」とは、欲求というより生命の輝きだと思います。
本当に生命を輝かせることをやりたい。そう思います。

僕は今、26歳。
読んでくれている皆さんにとって、26は「若い」でしょうか。それとも「もう若くはない」でしょうか。

最近、価値観もかなり変わりました。今年に入り、昨年までもっていた色んな物をたくさん捨てたんです。その中には、今まで何より大事にしてたものもあると思います。もしかしたら、友達も捨てたかもしれません。

僕は、生まれてから一度も、自分がしっくりとくる場所にいたことがありません。愚痴でもカッコつけでもなく、素直にそうでした。
僕は、性格もわりと社交的だし、友達もそれなりにたくさんいました。でもしっくりこなかったんです。
今まで、それをずっと自分のせいだとネガティブになってた気がします。熱い友達もたくさんいたし、みんな大好きです。でも、俺は心を開いてないのかなぁと心の中で1ミリくらい気にしてました。

気にしてる1ミリは、時に心のブレーキになります。
情熱のわりには朝寝坊はする。世の中を俯瞰で見過ぎて心と距離がある。そして、いざという時に怖がってる。ブレーキの効能はそんなことです。

自分が変われたきっかけは、やはりハワイでの公演です。僕にとってのパラダイムシフト。
そして、バンドを辞めたこと。
今まで自分のアイデンティティだったことがなくなり、ゼロから初めようと思えました。
バイトを辞めたのも大きかった。思えば8年近く務めてました。辞めたら少し心が広くなった気がします。人生はお金を稼ぐためだけの時間じゃない。それなのに、8年もお金だけを稼いで一日のほとんどを使っていました。

26歳になってわかったことは、人生は一度きりだということです。
どんなに才能があっても、どんなに毎日つまらなくても、人生は一度きり。それに26年かけてやっと最近気付きました。でもまだ「気付きはじめた」くらいで、年上の方からしたら、まだまだ青二才かもしれませんが。

人生は一度きり。
僕より年下の人には、なるべく早く本心で気が付いてもらいたいです。人生は一度きり。タイムマシンはない。一度きり。

話は飛びますが、寶船には言語学者の中山さんという人がいます(このブログでは"としひで"としておなじみですね)。
中山さんは本当に面白い人で、大好きです。心から寶船に入ってくれて良かったと思っています。
それまで連長や母以外の大人で、寶船の本質を話せる人がいませんでした。
だから僕は、何か考えごとをすると、さりげなく中山さんに聞きます。日常会話のようにさりげなく。
すると、いつも面白い答えが返ってくるんです。

前回のワンマンの練習で、野外の公園で練習していた時、休憩時間に近くのスーパーまで歩きながら尋ねました。
「中山さん、覚悟が出来るってどういうことですかねー?」
すると中山さんが、
「誕生日を生きてきた年数じゃなくて、生きられる年数を逆算することじゃないかなぁ」
と言いました。

なんかすごく納得しました。逆算という言い方は、焦りという意味もあるかもしれませんが、希望に満ちてるように聞こえました。
まさに26の自分にフィットしたからかもしれません。

人生は一度きり。
20年以上生きててしっくりこなかった自分が、ハワイに数日間行って他文化に触れただけで、つぼみが花開くようにしっくりきたり、同じメンバーの一言で情熱が沸いたり、人生は不思議で面白いなぁと思います。
一秒も無駄にしたくない。どうなったって一度なら、最高な物語を送りたい。

面白いことが待ってる予感がします。生命の輝きに満ちた毎日です。

わたる
posted by 創作舞踊集団 寶船 at 02:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 米澤 渉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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